コミュニケーション論 レポート
映画の「羅生門」の検討について
「羅生門」という映画を見て、いろいろな点に関して、分析したく、分かるようになりたいという気持ちを持っています。ところで、ちょっと恥ずかしいですが、一回目授業でこの映画を見た時聞き取った日本語における台詞を理解するのは難しいです。それで、ネットで中国語に訳してきた作品を探して、もう一度見ました。そして、この映画は確かによく好評されるべきだと感じています。では、映画によって物語のあらすじに関する感想や表現技巧から見るコミュ二ケーソンとの関係を簡単に論述します。
まずは感想から話します。周知のとおり、1つの事件の真相は当然に一つしかないですが、当事者三人と杣売りはそれぞれ真相に関する言い分が異なる。一つの真相は4人の人物が語られ、4つの全然違う「真相」になってしまうのはもともと不思議だと思いますが、その上、当事者三人は何のためにうそを吐いたのかを見ると、罪から逃げたいではなくて、かえって自分こそが人を殺したと承認したということで大変ショックしました。では、物語の筋はそういうふうに設定して、一体どのようなメッセイジを含まっているのか?それから、作品として私たち観者に伝えたいものってなんだろうか?最後に、犯人は誰だ?これは私はこの映画を見て、よく知りたい事です。それで、何回繰り返して考えると、私は彼らはうそを吐く真実な意図から、この映画の意味も分かるようになりました。
各自の「真相」に対して、盗賊は自分が如何に男らしく闘ったかを強調し、女は自分の貞淑さを強調し、武士は自分には非がなく、妻が如何に酷い仕打ちをしたかを強調しました。こうして見れば、三人は自分が殺人犯と承認したのに、やはり自分の都合の良いように、話を作っていました。この映画では、一つの真相を複数の人物の異なる視線で描かれて、真実とは最後に出てきた杣売りの証言ではなく、観者に検討空間を保留するままで、人間というものはエゴで平気でうそをつくなんて、悪を指摘してきましたが、ラストの杣売りの行動で善を描いていました。とにかく、人間というのは信じる価値がある気持ちが分かりました。
次はコミュニケーションとの関係を分析します。全面的に見ると、この映画の中の四人は証言を語る時、言語的コミュニケーションという形で物語を形成しました。しかし、この四人の物語は異なっています。一つの同じ事件に対して、各自の立場によって、違う物語が出てきました。それから、当事者の三人はそれぞれ、仮想的な事実を通じて、自己物語の真実を信じます。物語によって産み出された「自己」も新しい姿でみんなの前に展示されました。、こういうふうに、物語形式の違いにおいて、言語的コミュニケーションの世界に対立や矛盾が起こられます。実は、我々の日常のコミュニケーションに現実による物語を作る振る舞いが多くあります。 映画のほうで、事件をめぐって、いろいろな物語で表現し、真実を求めるようにコミュニケーションを形成するのは芸術の一つ形式と表現する手段だと思います。そして、生活中人々が物語を作って、整合したら人間関係によるコミュニケーションは豊富になれると感じられます。
それから、コミュニケーションはこの映画での体現形式を見ます。各人物の言葉による言語的形式以外、妻の証言を回想した時の図で、貞節を守れなかったという事実に対して、人物の表情や姿勢など非言語的コミュニケーションから女は悔い、男は軽蔑するのも深刻的に感じられます。
つまり、「羅生門」という映画に関して、素晴らしいストーリーや特別な表現技巧や作品の寓意など、いろいろな検討するべきところがあります。それから、こういうふうに映画とか、文集を通じて、コミュニケーションの表現形式の分析も面白いと思います。
第二篇:罗生门 日文
羅生門
げにんらしょうもんある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っ
ていた。
にぬりは 広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗の剥げた、
まるばしらきりぎりすすざくおおじ大きな円柱に、蟋蟀が一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路
いちめがさもみえぼしにある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、
もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。
つじかぜ 何故かと云うと、この二三年、京都には、地震とか辻風とか火事とか饑
わざわいらくちゅう饉とか云う災がつづいて起った。そこで洛中のさびれ方は一通り
にではない。旧記によると、仏像や仏具を打砕いて、その丹がついたり、金銀の
はくたきぎしろ箔がついたりした木を、路ばたにつみ重ねて、薪の料に売っていたと云う事である。洛中がその始末であるから、羅生門の修理などは、元より誰も
こりす捨てて顧る者がなかった。するとその荒れ果てたのをよい事にして、狐狸が棲
ぬすびとむ。盗人が棲む。とうとうしまいには、引取り手のない死人を、この門へ持って来て、棄てて行くと云う習慣さえ出来た。そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪るがって、この門の近所へは足ぶみをしない事になってしまったのである。
からす その代りまた鴉がどこからか、たくさん集って来た。昼間見ると、その
しび鴉が何羽となく輪を描いて、高い鴟尾のまわりを啼きながら、飛びまわってい
ごまる。ことに門の上の空が、夕焼けであかくなる時には、それが胡麻をまいたよ
ついばうにはっきり見えた。鴉は、勿論、門の上にある死人の肉を、啄みに来る
こくげんのである。――もっとも今日は、刻限が遅いせいか、一羽も見えない。た
だ、所々、崩れかかった、そうしてその崩れ目に長い草のはえた石段の上に、
ふん鴉の糞が、点々と白くこびりついているのが見える。下人は七段ある石段の
あお一番上の段に、洗いざらした紺の襖の尻を据えて、右の頬に出来た、大きな
にきび面皰を気にしながら、ぼんやり、雨のふるのを眺めていた。
作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と書いた。しかし、下人は雨がやんでも、格別どうしようと云う当てはない。ふだんなら、勿論、主人の家へ帰る可き筈である。所がその主人からは、四五日前に暇を出された。前にも
すいび書いたように、当時京都の町は一通りならず衰微していた。今この下人が、
永年、使われていた主人から、暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。だから「下人が雨やみを待っていた」と云うよりも「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方にくれていた」と云う方が、適当である。その上、今日の空模様も少からず、この平安朝の下人の
さるこくさがSentimentalisme に影響した。申の刻下りからふり出した雨は、いまだ
あすに上るけしきがない。そこで、下人は、何をおいても差当り明日の暮しをどう
にかしようとして――云わばどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、さっきから朱雀大路にふる雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。
雨は、羅生門をつつんで、遠くから、ざあっと云う音をあつめて来る。夕闇
いらかは次第に空を低くして、見上げると、門の屋根が、斜につき出した甍の先
に、重たくうす暗い雲を支えている。
いとま どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいる遑は
ついじうえじにない。選んでいれば、築土の下か、道ばたの土の上で、饑死をするばか
りである。そうして、この門の上へ持って来て、犬のように棄てられてしまう
ていかいばかりである。選ばないとすれば――下人の考えは、何度も同じ道を低徊
あげくほうちゃくした揚句に、やっとこの局所へ逢着した。しかしこの「すれば」は、いつまでたっても、結局「すれば」であった。下人は、手段を選ばないという事を肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、その後に
ぬすびと来る可き「盗人になるよりほかに仕方がない」と云う事を、積極的に肯定
するだけの、勇気が出ずにいたのである。
くさめたいぎ 下人は、大きな嚔をして、それから、大儀そうに立上った。夕冷えの
ひおけする京都は、もう火桶が欲しいほどの寒さである。風は門の柱と柱との間を、
にぬりきりぎりす夕闇と共に遠慮なく、吹きぬける。丹塗の柱にとまっていた蟋蟀も、
もうどこかへ行ってしまった。
くびやまぶきかざみあお 下人は、頸をちぢめながら、山吹の汗袗に重ねた、紺の襖の肩を
うれえおそれ高くして門のまわりを見まわした。雨風の患のない、人目にかかる惧
のない、一晩楽にねられそうな所があれば、そこでともかくも、夜を明かそうと思ったからである。すると、幸い門の上の楼へ上る、幅の広い、これも丹を
はしご塗った梯子が眼についた。上なら、人がいたにしても、どうせ死人ばかりで
ひじりづかたちさやばしある。下人はそこで、腰にさげた聖柄の太刀が鞘走らないように気
わらぞうりをつけながら、藁草履をはいた足を、その梯子の一番下の段へふみかけた。
それから、何分かの後である。羅生門の楼の上へ出る、幅の広い梯子の中段
ようすに、一人の男が、猫のように身をちぢめて、息を殺しながら、上の容子を窺
っていた。楼の上からさす火の光が、かすかに、その男の右の頬をぬらしてい
うみにきびる。短い鬚の中に、赤く膿を持った面皰のある頬である。下人は、始めか
くくら、この上にいる者は、死人ばかりだと高を括っていた。それが、梯子を二
三段上って見ると、上では誰か火をとぼして、しかもその火をそこここと動か
くもしているらしい。これは、その濁った、黄いろい光が、隅々に蜘蛛の巣をかけ
た天井裏に、揺れながら映ったので、すぐにそれと知れたのである。この雨の夜に、この羅生門の上で、火をともしているからは、どうせただの者ではない。
やもり 下人は、守宮のように足音をぬすんで、やっと急な梯子を、一番上の段ま
たいらで這うようにして上りつめた。そうして体を出来るだけ、平にしながら、
のぞ頸を出来るだけ、前へ出して、恐る恐る、楼の内を覗いて見た。
しがい 見ると、楼の内には、噂に聞いた通り、幾つかの死骸が、無造作に棄てて
あるが、火の光の及ぶ範囲が、思ったより狭いので、数は幾つともわからない。ただ、おぼろげながら、知れるのは、その中に裸の死骸と、着物を着た死骸とがあるという事である。勿論、中には女も男もまじっているらしい。そうして、その死骸は皆、それが、かつて、生きていた人間だと云う事実さえ疑われるほ
こあど、土を捏ねて造った人形のように、口を開いたり手を延ばしたりして、ごろごろ床の上にころがっていた。しかも、肩とか胸とかの高くなっている部分に、ぼんやりした火の光をうけて、低くなっている部分の影を一層暗くしながら、
おし永久に唖の如く黙っていた。
げにんふらんおお 下人は、それらの死骸の腐爛した臭気に思わず、鼻を掩った。しかし、その手は、次の瞬間には、もう鼻を掩う事を忘れていた。ある強い感情が、ほとんどことごとくこの男の嗅覚を奪ってしまったからだ。
うずくま 下人の眼は、その時、はじめてその死骸の中に蹲っている人間を見た。
ひわだいろやしらがあたま檜皮色の着物を着た、背の低い、痩せた、白髪頭の、猿のような老
きぎれ婆である。その老婆は、右の手に火をともした松の木片を持って、その死骸
の一つの顔を覗きこむように眺めていた。髪の毛の長い所を見ると、多分女の死骸であろう。
ざんじいき 下人は、六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて、暫時は呼吸をするの
とうしんさえ忘れていた。旧記の記者の語を借りれば、「頭身の毛も太る」ように
感じたのである。すると老婆は、松の木片を、床板の間に挿して、それから、
しらみ今まで眺めていた死骸の首に両手をかけると、丁度、猿の親が猿の子の虱
をとるように、その長い髪の毛を一本ずつ抜きはじめた。髪は手に従って抜けるらしい。
その髪の毛が、一本ずつ抜けるのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつ消えて行った。そうして、それと同時に、この老婆に対するはげしい憎悪が、
ごへい少しずつ動いて来た。――いや、この老婆に対すると云っては、語弊がある
かも知れない。むしろ、あらゆる悪に対する反感が、一分毎に強さを増して来たのである。この時、誰かがこの下人に、さっき門の下でこの男が考えていた、うえじにぬすびと饑死をするか盗人になるかと云う問題を、改めて持出したら、恐らく下人は、何の未練もなく、饑死を選んだ事であろう。それほど、この男の悪を
きぎれ憎む心は、老婆の床に挿した松の木片のように、勢いよく燃え上り出してい
たのである。
下人には、勿論、何故老婆が死人の髪の毛を抜くかわからなかった。従って、合理的には、それを善悪のいずれに片づけてよいか知らなかった。しかし下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くと云う事が、それだけで既に許すべからざる悪であった。勿論、下人は、さっきまで自分が、盗人になる気でいた事なぞは、とうに忘れていたのである。
そこで、下人は、両足に力を入れて、いきなり、梯子から上へ飛び上った。
ひじりづかそうして聖柄の太刀に手をかけながら、大股に老婆の前へ歩みよった。老婆が驚いたのは云うまでもない。
いしゆみはじ 老婆は、一目下人を見ると、まるで弩にでも弾かれたように、飛び
上った。
「おのれ、どこへ行く。」
下人は、老婆が死骸につまずきながら、慌てふためいて逃げようとする行手ふさののしを塞いで、こう罵った。老婆は、それでも下人をつきのけて行こうとする。下人はまた、それを行かすまいとして、押しもどす。二人は死骸の中で、しばらく、無言のまま、つかみ合った。しかし勝敗は、はじめからわかっている。下人はとうとう、老婆の腕をつかんで、無理にそこへじ倒した。丁度、にわとり鶏の脚のような、骨と皮ばかりの腕である。
「何をしていた。云え。云わぬと、これだぞよ。」
さやはがね 下人は、老婆をつき放すと、いきなり、太刀の鞘を払って、白い鋼の
色をその眼の前へつきつけた。けれども、老婆は黙っている。両手をわなわな
めだまふるわせて、肩で息を切りながら、眼を、眼球がの外へ出そうになるほど、
しゅうね見開いて、唖のように執拗く黙っている。これを見ると、下人は始めて明
白にこの老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されていると云う事を意識した。そうしてこの意識は、今までけわしく燃えていた憎悪の心を、いつの間に
あとか冷ましてしまった。後に残ったのは、ただ、ある仕事をして、それが円満
に成就した時の、安らかな得意と満足とがあるばかりである。そこで、下人は、老婆を見下しながら、少し声を柔らげてこう云った。
おれけびいし「己は検非違使の庁の役人などではない。今し方この門の下を通りかかった
なわ旅の者だ。だからお前に縄をかけて、どうしようと云うような事はない。た
だ、今時分この門の上で、何をして居たのだか、それを己に話しさえすればいいのだ。」
すると、老婆は、見開いていた眼を、一層大きくして、じっとその下人の顔を見守った。の赤くなった、肉食鳥のような、鋭い眼で見たのである。それから、皺で、ほとんど、鼻と一つになった唇を、何か物でも噛んでいるように動
のどぼとけかした。細い喉で、尖った喉仏の動いているのが見える。その時、その
からすあえ喉から、鴉の啼くような声が、喘ぎ喘ぎ、下人の耳へ伝わって来た。
かずら「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、鬘にしようと思うたのじゃ。」
下人は、老婆の答が存外、平凡なのに失望した。そうして失望すると同時に、
ぶべつまた前の憎悪が、冷やかな侮蔑と一しょに、心の中へはいって来た。すると、
けしきその気色が、先方へも通じたのであろう。老婆は、片手に、まだ死骸の頭か
ひきら奪った長い抜け毛を持ったなり、蟇のつぶやくような声で、口ごもりなが
ら、こんな事を云った。
しびと「成程な、死人の髪の毛を抜くと云う事は、何ぼう悪い事かも知れぬ。じゃ
が、ここにいる死人どもは、皆、そのくらいな事を、されてもいい人間ばかり
しすんだぞよ。現在、わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸ばかりずつに切
ほしうおたてわきいえやみって干したのを、干魚だと云うて、太刀帯の陣へ売りに往んだわ。疫病
にかかって死ななんだら、今でも売りに往んでいた事であろ。それもよ、この
さいりよう女の売る干魚は、味がよいと云うて、太刀帯どもが、欠かさず菜料に買
っていたそうな。わしは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば、饑死をするのじゃて、仕方がなくした事であろ。されば、今また、わしのしていた事も悪い事とは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、饑死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。じゃて、その仕方がない事を、よく知っていたこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。」
老婆は、大体こんな意味の事を云った。
さやつか 下人は、太刀を鞘におさめて、その太刀の柄を左の手でおさえながら、
冷然として、この話を聞いていた。勿論、右の手では、赤く頬に膿を持った大
にきびきな面皰を気にしながら、聞いているのである。しかし、これを聞いている中に、下人の心には、ある勇気が生まれて来た。それは、さっき門の下で、この男には欠けていた勇気である。そうして、またさっきこの門の上へ上って、この老婆を捕えた時の勇気とは、全然、反対な方向に動こうとする勇気である。下人は、饑死をするか盗人になるかに、迷わなかったばかりではない。その時のこの男の心もちから云えば、饑死などと云う事は、ほとんど、考える事さえ出来ないほど、意識の外に追い出されていた。
「きっと、そうか。」
おわあざけ 老婆の話が完ると、下人は嘲るような声で念を押した。そうして、一
にきびえりがみ足前へ出ると、不意に右の手を面皰から離して、老婆の襟上をつかみな
がら、噛みつくようにこう云った。
おれひはぎ「では、己が引剥をしようと恨むまいな。己もそうしなければ、饑死をする体なのだ。」
下人は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。梯子の口までは、僅に五歩を数え
ひわだいろるばかりである。下人は、剥ぎとった檜皮色の着物をわきにかかえて、ま
たたく間に急な梯子を夜の底へかけ下りた。
しばらく、死んだように倒れていた老婆が、死骸の中から、その裸の体を起したのは、それから間もなくの事である。老婆はつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだ燃えている火の光をたよりに、梯子の口まで、這って
しらがさかさま行った。そうして、そこから、短い白髪を倒にして、門の下を覗きこ
こくとうとうんだ。外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである。
ゆくえ 下人の行方は、誰も知らない。
(大正
竜 芥川龍之介 一
うじだいなごんたかくに 宇治の大納言隆国「やれ、やれ、昼寝の夢が覚めて見れば、今日は
まつえふじまた一段と暑いようじゃ。あの松ヶ枝の藤の花さえ、ゆさりとさせるほど
の風も吹かぬ。いつもは涼しゅう聞える泉の音も、どうやら油蝉の声にまぎれ
かえわらんべあおて、反って暑苦しゅうなってしもうた。どれ、また童部たちに煽いででも貰おうか。
わらんべ「何、往来のものどもが集った? ではそちらへ参ると致そう。童部たち
おおうちわもその大団扇を忘れずに後からかついで参れ。
たかくにゆる「やあ、皆のもの、予が隆国じゃ。大肌ぬぎの無礼は赦してくれい。
「さて今日はその方どもにちと頼みたい事があって、わざと、この宇治の亭へ足を止めて貰うたのじゃ。と申すはこの頃ふとここへ参って、予も人並にそうしあいにく双紙を一つ綴ろうと思い立ったが、つらつら独り考えて見れば、生憎予はこれと云うて、筆にするほどの話も知らぬ。さりながらあだ面倒な趣向など
おっくうせんばんを凝らすのも、予のような怠けものには、何より億劫千万じゃ。つい
ては今日から往来のその方どもに、今は昔の物語を一つずつ聞かせて貰うて、
だいりうちそとそれを双紙に編みなそうと思う。さすれば内裡の内外ばかりうろついて
おいつじ居る予などには、思いもよらぬ逸事奇聞が、舟にも載せ車にも積むほど、四
かな方から集って参るに相違あるまい。何と、皆のもの、迷惑ながらこの所望を叶
えてくれる訳には行くまいか。
ちょうじょう「何、叶えてくれる? それは重畳、では早速一同の話を順々にこれ
で聞くと致そう。
わらんべあお「こりゃ童部たち、一座へ風が通うように、その大団扇で煽いでくれい。
いもじすえものつくりそれで少しは涼しくもなろうと申すものじゃ。鋳物師も陶器造も遠慮
すしうりは入らぬ。二人ともずっとこの机のほとりへ参れ。鮓売の女も日が近くば、
えんよごんくはず桶はその縁の隅へ置いたが好いぞ。わ法師も金鼓を外したらどうじゃ。
たかむしろそこな侍も山伏も簟を敷いたろうな。
すえものつくりおきな「よいか、支度が整うたら、まず第一に年かさな陶器造の翁から、
何なりとも話してくれい。」
二
おきなごあいさつげせんわたくし 翁「これは、これは、御叮嚀な御挨拶で、下賤な私どもの
おっしゃ申し上げます話を、一々双紙へ書いてやろうと仰有います――そればかり
でも、私の身にとりまして、どのくらい恐多いかわかりません。が、御辞退申
かえぎょいさからしましては反って御意に逆う道理でございますから、御免を蒙って、
たわい一通り多曖もない昔話を申し上げると致しましょう。どうか御退屈でもしばらくの間、御耳を御借し下さいまし。
くろうどとくごうえいん「私どものまだ年若な時分、奈良に蔵人得業恵印と申しまして、
とほうほうし途方もなく鼻の大きい法師が一人居りました。しかもその鼻の先が、まるで蜂にでも刺されたかと思うくらい、年が年中恐しくまっ赤なのでございま
あだなはなくらす。そこで奈良の町のものが、これに諢名をつけまして、鼻蔵――と申
くろうどとくごうしますのは、元来大鼻の蔵人得業と呼ばれたのでございますが、それ
はなくろうどではちと長すぎると申しますので、やがて誰云うとなく鼻蔵人と申し
はや囃しました。が、しばらく致しますと、それでもまだ長いと申しますので、
うたさてこそ鼻蔵鼻蔵と、謡われるようになったのでございます。現に私も一両
こうふくじ度、その頃奈良の興福寺の寺内で見かけた事がございますが、いかさま鼻
そしてんぐばな蔵とでも譏られそうな、世にも見事な赤鼻の天狗鼻でございました。そ
えいんほうしの鼻蔵の、鼻蔵人の、大鼻の蔵人得業の恵印法師が、ある夜の事、弟子も
さるさわつれずにただ一人そっと猿沢の池のほとりへ参りまして、あの
うねめやなぎつつみ采女柳の前の堤へ、『三月三日この池より竜昇らんずるなり』と筆
えいん太に書いた建札を、高々と一本打ちました。けれども恵印は実の所、猿沢の
池に竜などがほんとうに住んでいたかどうか、心得ていた訳ではございませ
てんじょうん。ましてその竜が三月三日に天上すると申す事は、全く口から出まか
ほらせの法螺なのでございます。いや、どちらかと申しましたら、天上しないと申す方がまだ確かだったのでございましょう。ではどうしてそんな入らざる真似を致したかと申しますと、恵印は日頃から奈良の僧俗が何かにつけて自分の鼻を笑いものにするのが不平なので、今度こそこの鼻蔵人がうまく一番かついだあげくこんたんいたずら挙句、さんざん笑い返してやろうと、こう云う魂胆で悪戯にとりか
ごぜんしょうしかったのでございます。御前などが御聞きになりましたら、さぞ笑止な
事と思召しましょうが、何分今は昔の御話で、その頃はかような悪戯を致しますものが、とかくどこにもあり勝ちでございました。
「さてあくる日、第一にこの建札を見つけましたのは、毎朝興福寺のにょらいさまじゅず如来様を拝みに参ります婆さんで、これが珠数をかけた手に竹杖をせ
もやっせとつき立てながら、まだ靄のかかっている池のほとりへ来かかります
きのうほうえと、昨日までなかった建札が、采女柳の下に立って居ります。はて法会の
建札にしては妙な所に立っているなと不審には思ったのでございますが、何分文字が読めませんので、そのまま通りすぎようと致しました時、折よく向うかへんさんら偏衫を着た法師が一人、通りかかったものでございますから、頼んで読んで貰いますと、何しろ『三月三日この池より竜昇らんずるなり』で、――誰
あっけでもこれには驚いたでございましょう。その婆さんも呆気にとられて、曲っ
た腰をのしながら、『この池に竜などが居りましょうかいな。』と、とぼんと
から法師の顔を見上げますと、法師は反って落ち着き払って、『昔、唐のある学
まゆこぶかゆ者が眉の上に瘤が出来て、痒うてたまらなんだ事があるが、ある日一天にわかそそ俄に掻き曇って、雷雨車軸を流すがごとく降り注いだと見てあれば、たちまちその瘤がふっつと裂けて、中から一匹の黒竜が雲を捲いて一文字に昇天したと云う話もござる。瘤の中にさえ竜が居たなら、ましてこれほどの池の底
こうりゅうわだかまことわりには、何十匹となく蛟竜毒蛇が蟠って居ようも知れぬ道理じ
もうごゃ。』と、説法したそうでございます。何しろ出家に妄語はないと日頃から
きも思いこんだ婆さんの事でございますから、これを聞いて肝を消しますまい事
か、『成程そう承りますれば、どうやらあの辺の水の色が怪しいように見えますわいな。』で、まだ三月三日にもなりませんのに、法師を独り後に残して、あえま喘ぎ喘ぎ念仏を申しながら、竹杖をつく間もまだるこしそうに急いで逃げてしまいました。後で人目がございませんでしたら、腹を抱えたかったのはこの
ほっとうにんとくごう法師で――これはそうでございましょう。実はあの発頭人の得業
えいんあだなはなくらゆうべこうさつ恵印、諢名は鼻蔵が、もう昨夜建てた高札にひっかかった鳥が
ようすありそうだくらいな、はなはだ怪しからん量見で、容子を見ながら、池のほ
とりを、歩いて居ったのでございますから。が、婆さんの行った後には、もう
ともげにんたれぎぬ早立ちの旅人と見えて、伴の下人に荷を負わせた虫の垂衣の女が一
いちめがさ人、市女笠の下から建札を読んで居るのでございます。そこで恵印は大事をとって、一生懸命笑を噛み殺しながら、自分も建札の前に立って一応読むよ
うなふりをすると、あの大鼻の赤鼻をさも不思議そうに鳴らして見せて、それ
こうふくじからのそのそ興福寺の方へ引返して参りました。
なんだいもん「すると興福寺の南大門の前で、思いがけなく顔を合せましたのは、同
えもんえいんじ坊に住んで居った恵門と申す法師でございます。それが恵印に出会いま
ごぼうすと、ふだんから片意地なげじげじ眉をちょいとひそめて、『御坊には珍し
い早起きでござるな。これは天気が変るかも知れませぬぞ。』と申しますから、こちらは得たり賢しと鼻を一ぱいににやつきながら、『いかにも天気ぐらいは変るかも知れませぬて。聞けばあの猿沢の池から三月三日には、竜が天上するとか申すではござらぬか。』と、したり顔に答えました。これを聞いた恵門は
ね疑わしそうに、じろりと恵印の顔を睨めましたが、すぐに喉を鳴らしながらせ
せら笑って、『御坊は善い夢を見られたな。いやさ、竜の天上するなどと申す
はちひらそびや夢は吉兆じゃとか聞いた事がござる。』と、鉢の開いた頭を聳かせた
まま、行きすぎようと致しましたが、恵印はまるで独り言のように、『はてさ
しゅじょうどつぶやて、縁無き衆生は度し難しじゃ。』と、呟いた声でも聞えたのでご
あさおあしだにくにくざいましょう。麻緒の足駄の歯をって、憎々しげにふり返りますと、
まるで法論でもしかけそうな勢いで、『それとも竜が天上すると申す、しかと
つめした証拠がござるかな。』と問い詰るのでございます。そこで恵印はわざと
悠々と、もう朝日の光がさし始めた池の方を指さしまして、『愚僧の申す事が
うねめやなぎこうさつ疑わしければ、あの采女柳の前にある高札を読まれたがよろしゅう
みくだござろう。』と、見下すように答えました。これにはさすがに片意地な恵門
ほこさきまぶまたたも、少しは鋒を挫かれたのか、眩しそうな瞬きを一つすると、『は
こうさつはあ、そのような高札が建ちましたか。』と気のない声で云い捨てながら、
またてくてくと歩き出しましたが、今度は鉢の開いた頭を傾けて、何やら考え
はなくろうどおかて行くらしいのでございます。その後姿を見送った鼻蔵人の可笑しさ
えいんがゆは、大抵御推察が参りましょう。恵印はどうやら赤鼻の奥がむず痒いよう
なんだいもんな心もちがして、しかつめらしく南大門の石段を上って行く中にも、思
わず吹き出さずには居られませんでした。
「その朝でさえ『三月三日この池より竜昇らんずるなり』の建札は、これほどきの利き目がございましたから、まして一日二日と経って見ますと、奈良の町中
さるさわうわさどこへ行っても、この猿沢の池の竜の噂が出ない所はございません。
いたずら元より中には『あの建札も誰かの悪戯であろう。』など申すものもござい
しんせんえんましたが、折から京では神泉苑の竜が天上致したなどと申す評判もござ
いましたので、そう云うものさえ内心では半信半疑と申しましょうか、事によるとそんな大変があるかも知れないぐらいな気にはなって居ったのでございます。するとここにまた思いもよらない不思議が起ったと申しますのは、かすがおやしろねぎ春日の御社に仕えて居りますある禰宜の一人娘で、とって九つになりま
のちすのが、その後十日と経たない中に、ある夜母の膝を枕にしてうとうとと致
して居りますと、天から一匹の黒竜が雲のように降って来て、『わしはいよいよ三月三日に天上する事になったが、決してお前たち町のものに迷惑はかけなつもりい心算だから、どうか安心していてくれい。』と人語を放って申しました。そこで娘は目がさめるとすぐにこれこれこうこうと母親に話しましたので、さ
ゆめまくらては猿沢の池の竜が夢枕に立ったのだと、たちまちまたそれが町中の
おおおひれ大評判になったではございませんか。こうなると話にも尾鰭がついて、や
ちごつかんなぎれあすこの稚児にも竜が憑いて歌を詠んだの、やれここの巫女にも竜が現
たくせんれて託宣をしたのと、まるでその猿沢の池の竜が今にもあの水の上へ、首でも出しそうな騒ぎでございます。いや、首までは出しも致しますまいが、そ
まの中に竜の正体を、目のあたりにしかと見とどけたと申す男さえ出て参りまし
いちおやじた。これは毎朝川魚を市へ売りに出ます老爺で、その日もまだうす暗いの
うねめやなぎしだに猿沢の池へかかりますと、あの采女柳の枝垂れたあたり、建札のある
つつみあかる堤の下に漫々と湛えた夜明け前の水が、そこだけほんのりとうす明く見えたそうでございます。何分にも竜の噂がやかましい時分でございますか
りゅうじんら、『さては竜神の御出ましか。』と、嬉しいともつかず、恐しいとも
どうぶるつかず、ただぶるぶる胴震いをしながら、川魚の荷をそこへ置くなり、ぬ
すき足にそっと忍び寄ると、采女柳につかまって、透かすように、池を窺いまし
あかるくろがねた。するとそのほの明い水の底に、黒金の鎖を巻いたような何とも知
わだかまひとおとれない怪しい物が、じっと蟠って居りましたが、たちまち人音に驚
おもてみおいたのか、ずるりとそのとぐろをほどきますと、見る見る池の面に水脈が
立って、怪しい物の姿はどことも知れず消え失せてしまったそうでございま
おやじそうしんす。が、これを見ました老爺は、やがて総身に汗をかいて、荷を下した
こいふなびあきないもの所へ来て見ますと、いつの間にか鯉鮒合せて二十尾もいた商売物が
おおかたこうかわおそなくなっていたそうでございますから、『大方劫を経た獺にでも
だまわら欺されたのであろう。』などと哂うものもございました。けれども中には
す『竜王が鎮護遊ばすあの池に獺の棲もう筈もないから、それはきっと竜王が
うろくずおあわれ魚鱗の命を御憫みになって、御自分のいらっしゃる池の中へ御召し寄せなすったのに相違ない。』と申すものも、思いのほか多かったようでございます。
はなくらえいんほうし「こちらは鼻蔵の恵印法師で、『三月三日この池より竜昇らんずるな
ないないり』の建札が大評判になるにつけ、内々あの大鼻をうごめかしては、にや
にや笑って居りましたが、やがてその三月三日も四五日の中に迫って参ります
せっつさくらいと、驚いた事には摂津の国桜井にいる叔母の尼が、是非その竜の昇天を
見物したいと申すので、遠い路をはるばると上って参ったではございません
おどすかか。これには恵印も当惑して、嚇すやら、賺すやら、いろいろ手を尽して
桜井へ帰って貰おうと致しましたが、叔母は、『わしもこの年じゃで、りゅうおう竜王の御姿をたった一目拝みさえすれば、もう往生しても本望じゃ。』と、剛情にも腰を据えて、甥の申す事などには耳を借そうとも致しません。と
いたずら申してあの建札は自分が悪戯に建てたのだとも、今更白状する訳には参り
がませんから、恵印もとうとう我を折って、三月三日まではその叔母の世話を引
りゅうじんき受けたばかりでなく、当日は一しょに竜神の天上する所を見に行くと
云う約束までもさせられました。さてこうなって考えますと、叔母の尼さえ竜
やまとの事を聞き伝えたのでございますから、大和の国内は申すまでもなく、摂津
いずみかわちはりまやましろの国、和泉の国、河内の国を始めとして、事によると播磨の国、山城おうみたんばいちえんの国、近江の国、丹波の国のあたりまでも、もうこの噂が一円にひろ
ろうにゃくまっているのでございましょう。つまり奈良の老若をかつごうと思って
よもだました悪戯が、思いもよらず四方の国々で何万人とも知れない人間を瞞す事に
おかなってしまったのでございます。恵印はそう思いますと、可笑しいよりは何と
あさゆうなく空恐しい気が先に立って、朝夕叔母の尼の案内がてら、つれ立って奈
けびいしぬす良の寺々を見物して歩いて居ります間も、とんと検非違使の眼を偸んで、身
うしろを隠している罪人のような後めたい思いがして居りました。が、時々往来
こうげたむのものの話などで、あの建札へこの頃は香花が手向けてあると云う噂を聞く
ひと事でもございますと、やはり気味の悪い一方では、一かど大手柄でも建てた
ような嬉しい気が致すのでございます。
ひかず「その内に追い追い日数が経って、とうとう竜の天上する三月三日になって
しまいました。そこで恵印は約束の手前、今更ほかに致し方もございませんか
ともさるさわこうふくじら、渋々叔母の尼の伴をして、猿沢の池が一目に見えるあの興福寺
なんだいもんの南大門の石段の上へ参りました。丁度その日は空もほがらかに晴れ渡
ふうたくけしきって、門の風鐸を鳴らすほどの風さえ吹く気色はございませんでした
きょうが、それでも今日と云う今日を待ち兼ねていた見物は、奈良の町は申すに及
ばず、河内、和泉、摂津、播磨、山城、近江、丹波の国々からも押し寄せて参ったのでございましょう。石段の上に立って眺めますと、見渡す限り西も東も
おおじ一面の人の海で、それがまた末はほのぼのと霞をかけた二条の大路のはての
えぼしはてまで、ありとあらゆる烏帽子の波をざわめかせて居るのでございます。と
あおいとげあかいとげ思うとそのところどころには、青糸毛だの、赤糸毛だの、あるいはま
せんだんびさしすきぎっしゃた栴檀庇だのの数寄を凝らした牛車が、のっしりとあたりの人波
やかたかなぐを抑えて、屋形に打った金銀の金具を折からうららかな春の日ざしに、
まばひがさひらばり眩ゆくきらめかせて居りました。そのほか、日傘をかざすもの、平張
ぎょうぎょうさじきを空に張り渡すもの、あるいはまた仰々しく桟敷を路に連ねるも
かもの――まるで目の下の池のまわりは時ならない加茂の祭でも渡りそうな景色
えいんほうしでございます。これを見た恵印法師はまさかあの建札を立てたばかりで、
これほどの大騒ぎが始まろうとは夢にも思わずに居りましたから、さも呆れ返ったように叔母の尼の方をふり向きますと、『いやはや、飛んでもない人出でござるな。』と情けない声で申したきり、さすがに今日は大鼻を鳴らすだけの
なんだいもんいくじ元気も出ないと見えて、そのまま南大門の柱の根がたへ意気地なく
うずくま蹲ってしまいました。
「けれども元より叔母の尼には、恵印のそんな腹の底が呑みこめる訳もござい
ずきんませんから、こちらは頭巾もずり落ちるほど一生懸命首を延ばして、あちら
おすこちらを見渡しながら、成程竜神の御棲まいになる池の景色は格別だの、これ
ほどの人出がした上からは、きっと竜神も御姿を御現わしなさるだろうのと、何かと恵印をつかまえては話しかけるのでございます。そこでこちらも柱の根
もたがたに坐ってばかりは居られませんので、嫌々腰を擡げて見ますと、ここに
もみえぼしさむらいえぼしひとやまも揉烏帽子や侍烏帽子が人山を築いて居りましたが、その中に交
えもんほうしあいかわらずってあの恵門法師も、相不変鉢の開いた頭を一きわ高く聳やかせなうがら、鵜の目もふらず池の方を眺めて居るではございませんか。恵印は急に今までの情けない気もちも忘れてしまって、ただこの男さえかついでやったと云おかくすぐごぼうう可笑しさに独り擽られながら、『御坊』と一つ声をかけて、それから『御坊も竜の天上を御覧かな。』とからかうように申しましたが、恵門はおうへい横柄にふりかえると、思いのほか真面目な顔で、『さようでござる。御同だいぶ様大分待ち遠い思いをしますな。』と、例のげじげじ眉も動かさずに答えるのでございます。これはちと薬が利きすぎた――と思うと、浮いた声も自然に出なくなってしまいましたから、恵印はまた元の通り世にも心細そうな顔をし
さるさわて、ぼんやり人の海の向うにある猿沢の池を見下しました。が、池はもう
ぬるおもて温んだらしい底光りのする水の面に、堤をめぐった桜や柳を鮮にじっと
けしき映したまま、いつになっても竜などを天上させる気色もございません。殊に
にんずうずそのまわりの何里四方が、隙き間もなく見物の人数で埋まってでもいるせ
いか、今日は池の広さが日頃より一層狭く見えるようで、第一ここに竜が居る
とほうと云うそれがそもそも途方もない嘘のような気が致すのでございます。
いっときいっとき「が、一時一時と時の移って行くのも知らないように、見物は皆かたず片唾を飲んで、気長に竜の天上を待ちかまえて居るのでございましょう。門
ますますぎっしゃの下の人の海は益広がって行くばかりで、しばらくする内には牛車
かずの数も、所によっては車の軸が互に押し合いへし合うほど、多くなって参りました。それを見た恵印の情けなさは、大概前からの行きがかりでも、御推察が参るでございましょう。が、ここに妙な事が起ったと申しますのは、どう云うものか、恵印の心にもほんとうに竜が昇りそうな――それも始はどちらかと
申すと、昇らない事もなさそうな気がし出した事でございます。恵印は元より
こうさつばかあの高札を打った当人でございますから、そんな莫迦げた気のすることは
えぼしありそうもないものでございますが、目の下で寄せつ返しつしている烏帽子の
波を見て居りますと、どうもそんな大変が起りそうな気が致してなりません。
はなくらこれは見物の人数の心もちがいつとなく鼻蔵にも乗り移ったのでござい
ましょうか。それともあの建札を建てたばかりに、こんな騒ぎが始まったと思
とがうと、何となく気が咎めるので、知らず知らずほんとうに竜が昇ってくれれ
いば好いと念じ出したのでございましょうか。その辺の事情はともかくも、あの
じゅうじゅう高札の文句を書いたものは自分だと重々承知しながら、それでも恵印
は次第次第に情けない気もちが薄くなって、自分も叔母の尼と同じように飽か
おもてなるほどず池の面を眺め始めました。また成程そう云う気が起りでも致しませ
ふしょうぶしょうんでしたら、昇る気づかいのない竜を待って、いかに不承不承とは申
なんだいもんこいちにちすものの、南大門の下に小一日も立って居る訳には参りますまい。
さざなみ「けれども猿沢の池は前の通り、漣も立てずに春の日ざしを照り返して
こぶし居るばかりでございます。空もやはりほがらかに晴れ渡って、拳ほどの雲
ようすあいかわらずの影さえ漂って居る容子はございません。が、見物は相不変、日傘の
ひらばりさじきうしろぞくぞく陰にも、平張の下にも、あるいはまた桟敷の欄干の後にも、簇々
ひるゆうべと重なり重なって、朝から午へ、午から夕へ日影が移るのも忘れたよう
に、竜王が姿を現すのを今か今かと待って居りました。
えいん「すると恵印がそこへ来てから、やがて半日もすぎた時分、まるで線香の煙
なかぞらのような一すじの雲が中空にたなびいたと思いますと、見る間にそれが大
にわかきくなって、今までのどかに晴れていた空が、俄にうす暗く変りました。
とたんその途端に一陣の風がさっと、猿沢の池に落ちて、鏡のように見えた水の面
えがに無数の波を描きましたが、さすがに覚悟はしていながら慌てまどった見物
が、あれよあれよと申す間もなく、天を傾けてまっ白にどっと雨が降り出した
かみなりではございませんか。のみならず神鳴も急に凄じく鳴りはためいて、絶え
いなずまおさず稲妻が梭のように飛びちがうのでございます。それが一度鍵の手に群る雲を引っ裂いて、余る勢いに池の水を柱のごとく捲き起したようでございま
こんじきひらめしたが、恵印の眼にはその刹那、その水煙と雲との間に、金色の爪を閃
もうろうかせて一文字に空へ昇って行く十丈あまりの黒竜が、朦朧として映りまし
またたあとた。が、それは瞬く暇で、後はただ風雨の中に、池をめぐった桜の花が
まっ暗な空へ飛ぶのばかり見えたと申す事でございます――度を失った見物が右往左往に逃げ惑って、池にも劣らない人波を稲妻の下で打たせた事は、今更別にくだくだしく申し上るまでもございますまい。
ごううくもま「さてその内に豪雨もやんで、青空が雲間に見え出しますと、恵印は鼻の
大きいのも忘れたような顔色で、きょろきょろあたりを見廻しました。一体今見た竜の姿は眼のせいではなかったろうか――そう思うと、自分が高札を打った当人だけに、どうも竜の天上するなどと申す事は、なさそうな気も致して参ります。と申して、見た事は確かに見たのでございますから、考えれば考える
ますますふしんかたわらほど益審でたまりません。そこで側の柱の下に死んだように
だようすなって坐っていた叔母の尼を抱き起しますと、妙にてれた容子も隠しきれな
ごろういで、『竜を御覧じられたかな。』と臆病らしく尋ねました。すると叔母は
大息をついて、しばらくは口もきけないのか、ただ何度となく恐ろしそうにうなず頷くばかりでございましたが、やがてまた震え声で、『見たともの、見た
こんじきりゅうじんともの、金色の爪ばかり閃かいた、一面にまっ黒な竜神じゃろが。』
はなくろうどと答えるのでございます。して見ますと竜を見たのは、何も鼻蔵人の
とくごうえいん得業恵印の眼のせいばかりではなかったのでございましょう。いや、後
ろうにゃくなんにょで世間の評判を聞きますと、その日そこに居合せた老若男女は、大
抵皆雲の中に黒竜の天へ昇る姿を見たと申す事でございました。
ひょうしいたずら「その後恵印は何かの拍子に、実はあの建札は自分の悪戯だったと申
す事を白状してしまいましたが、恵門を始め仲間の法師は一人もその白状をほんとうとは思わなかったそうでございます。これで一体あの建札の悪戯はずぼしあたまと図星に中ったのでございましょうか。それとも的を外れたのでございま
はなくらはなくろうどくろうどとくごうしょうか。鼻蔵の、鼻蔵人の、大鼻の蔵人得業の恵印法師
に尋ねましても、恐らくこの返答ばかりは致し兼ねるのに相違ございますまい…………」
三
うじだいなごんたかくにめんよう 宇治大納言隆国「なるほどこれは面妖な話じゃ。昔はあのさるさわのいけす猿沢池にも、竜が棲んで居ったと見えるな。何、昔もいたかどうか分
あめしんらぬ。いや、昔は棲んで居ったに相違あるまい。昔は天が下の人間も皆心
みなそこあめつちから水底には竜が住むと思うて居った。さすれば竜もおのずから天地あいだひぎょうの間に飛行して、神のごとく折々は不思議な姿を現した筈じゃ。が、
あんぎゃ予に談議を致させるよりは、その方どもの話を聞かせてくれい。次は行脚
の法師の番じゃな。
いけおぜんちないぐ「何、その方の物語は、池の尾の禅智内供とか申す鼻の長い法師の事じ
ゃ? これはまた鼻蔵の後だけに、一段と面白かろう。では早速話してくれい。――」
(大正八年四月)