日语专业四级写作

时间:2024.4.30

日语专业四级限时作文

编写意图

日语专业四级考试的作文内容,可谓目前国内日语水平考试当中唯一的写作试题。然而日语的写作能力,关乎学生在校学习(用日语表达自己的思想感情,撰写读书摘要,调研报告和毕业论文)以及日后在社会上的工作。因此,本单元借助学生应试需要,从应用角度,引导学生按照一定的写作格式,规则和技巧,写出基于科学的方法之上的有自己个性的,独立创作的文章。

日语作文写作

  作文是对考生综合能力的考查,它能从词汇,语法,句法和逻辑思维等各方面考查考生的语言用用能力。

日语专业四级考试的作文,通常是命题作文。如20##年为“关爱地球,让城市更美丽”;20##年为“我的母亲”;20##年为“我的同班同学”

日语写作应该怎样教,这是一个困扰我国日语教育界多年的老话题了。

日语作文教学日益忽略与学生的情感沟通,感觉不到学生自我的存在。“我想,我写,我读”。首先激活学生用日语表达的欲望,只有自己想写了,才有可能写好。“我写”作文是学生自己写自己,而不是揣测和代表社会,学校,老师的想法,写他人眼中的世界,或者写社会一般道理。只有我主导我自己写,代表我个人写,才有可能说真话,表真情,而不说假话,空话和大话。“我读”包括作文的完成后的检查,修改,交流和分享等行为。其目的在于让学生通过对成果的品位实现“快乐作文”。我们以往的日语作文指导往往注重对结果的模仿,忽视了对写作过程的指导。本课试图先从日语与中文语法,词汇区别的角度,练习书写简单的句子,举出文章中常见的表述形式。然后,分记叙文,说明文和感想文逐一展开说明。

授業の基本方針

文章を作る方法とテクニックを教えて、視野を広めたい。着目点は、転換点。角度のチェンジ。視角を変える。広く浅く渉猟する。

第一回目の授業  作文の授業について説明した。

日本語の発音の稽古、材料と構造からセンテンスとパラグラフ(「トピック?センテンス」と「サブ?センテンス」)という基本内容を紹介したうえ、作文と小論文(テーマ論文)乃至卒論までの要点を抑えた。

その中、作文と小論文との違いは必ずしも明確ではなかった。本授業の目的は卒論という最終的な目標は明確になったということである。

第二回目の授業

ウォーミングアップ

原稿用紙で書く。原稿用紙の使い方。学生に黒板にある「原稿用紙」に書いてもらう。→説明。

今度は、やる気と元気、また、モチベーションの育ち方、それを実現するために、NHKスペシャルの放映が必要。自分の生きがい。その次は、作文の基礎知識を説明する。→材料(語彙)

○漢字語(中国人学習者にとっては落とし穴である)

漢字語に注意してもらいたいこと。「運動員」「放心」「大袈裟」など。

→思い込みは禁物。

○敷衍と具体化

また、日本語の表現上における敷衍?抽象?曖昧という言葉に対する中国語対応分(訳文)の具体化。逆に考えると、具体化(やや難しくて複雑な中国語の表現は、できるだけ簡単な易しい日本語で書いたほうがいいということである。辞書で調べた日本語よりすでに身につけた日本語で書く方が自然である。

第三回目の授業

ウォーミングアップ

原稿用紙で書く。原稿用紙の使い方。学生に黒板にある「原稿用紙」に書いてもらう。→説明。添削の後、パソコンにイン?プット。学習委員によって収集、先生に転送。

作文:テーマ「私は美しいと思うこと」(400字。20分)(切り口。手法の説明)

内容に関して:

以下の基準を参考に良し悪しを判断する。

?起承転結の承もしくは転の部分に学生自身が「なぜ」の問いができている事とその答えを自らの力で(答えを)出している事(その際、世の中で広く言われている一般論的な答えは作文では不適切である)

?その内容(こと)に関してメリットとデメリットが挙げられている

?テーマに沿い結論まで達していること(最初の内容と結論に矛盾がないこと)

?テーマに沿った話題選びをしていること

?主に承転の部分において話題が多すぎないこと(400字詰めの作文の場合、話題は1つもしくは2つまでと考える。それ以上になると知識の羅列に過ぎないと考える)

テーマ「私が美しいと思うもの」

その後、以下の項目に添い、減点法で採点をする。

減点の対象となる項目は(図A-1)を参考にする。

○日语写作的基本要求:

1. 稿纸的格式(横書きと縦書き)

2. 标记规则

3. 主要标点符号的用法及其功能(利用稿纸对照说明)

4. 「だ?である」体がベスト

5.  日本における記述試験では「ます/です」体で書かれた解答にも6点(最高点)評価が出ているので、文体による評価の差はないようです。しかし、大学受験の小論文から卒業論文、修士論文、博士論文まで「だ?である」体で書くのが原則なので、4級試験の作文も「だ?である」体で練習した方がいいだろう。

○「です?ます」と「だ?である」の使い分け

文章を書くとき、まずは一つの選択をする必要がある。敬体(です?ます)を用いるか、それとも常体(だ?である)を用いるかだ。

特定の人に呼びかけるときには敬体を用い、不特定の人物に対して公的に書くときには常体を用いるというのが原則だ。したがって、手紙などは敬体で書き、エッセイや小論文などは常体で書くのが一般的だ。

○常体

昔々、あるところに男と女がいた。男は山に行った。女は里に行った。男が山道を歩いていると、向こうから見知らぬ老人が歩いてきた。男は老人にどこから来て、どこに行くのかをたずねた。だが、老人は何も答えず、ただ首を振るだけで歩きつづけた。男は不思議に思ったが、そのまま山に向かった。

○敬体

昔々、あるところに男と女がいました。男は山に行きました。女は里に行きました。男が山道を歩いていると、向こうから見知らぬ老人が歩いてきました。男は老人にどこから来て、どこに行くのかをたずねました。だが、老人は何も答えず、ただ首を振るだけで歩きつづけた。男は不思議に思ったが、そのまま山に向かった。

○日本語の作文では話し言葉は使わない

口語体と文語体(一部)の比較 いいー良い 一番―最も けれどもーが からーので

じゃないーではない ぜんぜんーまったく いろいろーさまざま ちょっとー少し

 たくさんー多くの とってもーとても こんなーこのような  でもーだが/しかし

たぶんー恐らく ちゃんとーきちんと すごくーとても/非常に なんか/なんてーなど

だからー従って ~とか~とかー~や~など はっきりー明確 やっぱりーやはり

みたいにーように どっちーどちら けどーが/けれども どんどんー次第に

ぺらぺらー流暢に ですかー(の)だろうか 美しくてー美しく(形容词的中顿都是此用法)

ているーており(动词的中顿都是此用法)

:すごく難しい問題だ。---> :かなり?非常に(大変)難しい問題だ
2、口:多分(ひょっとすると)明日は雨だ。---> :恐らく(~の可能性がある)  

明日は雨だ

1、ちょっと違いがある(稍稍有点不一样)。---> 
2、やっぱり同じである(果然一样)。---
3、たくさんの(いっぱいの)例がある(有很多例子)。---> 
4、どっちの場合でも同じ結果となる(不管哪种情况结果都是一样的)。---
5、どっちにしても(どっちみち)大差ない(不管怎样没有大的差别)。---
6、こんな(こんなふうな)例は珍しくない(这样的例子不稀奇)。---

文章体

1少し(多少?若干?やや)違いがある。

2やはり(予想した通り、予想通り)同じである。

3多くの(数多くの?多数の?かなりの?無数の)例がある。

4どちら(いずれ)の場合でも同じ結果となる。

5いずれにしても(いずれにせよ)大差ない。

6このような例は珍しくない。

○もうひとつ大切なのは、論文では話し言葉専用の語や擬声(音)語、擬態語を使わないことです。

○「それ」「その」(指示語)は必要最小限に使う

「それ」「その」などの指示語は、多用するとつながりがわかりにくくなるので、必要最小限に使った方がいいだろう。

○  面白い文章の条件(作文の注意点)

5つのW:いつ、どこ、だれ、なに、どうして

(なぜ)、どのように(どんなふうに。どういうふうに)

一体だれがどうしてしたというのだ―主語?述語のねじれ

例えば:

ぼくとお父さんは、海へ釣りに行った。お父さんは、「まず、餌の付け方からだ。」と、餌の付け方を教えてもらった。

お父さんが、ぼくに餌の付け方を教えてくれたのでしょうか。それとも、ぼくが、お父さんに…を教えてあげた…。→直す方法

文章を書くコツ

書くことがない?ほんとうかな―題材(材料)

心を留める(印象に残す)五つのポイント

1、学校であったこと

○勉強しているときに何かなかったか。学習時間?給食

○友だちと遊んでいるとき何かなかったか。登校?休み時間?放課後?下校

○学校行事で何かなかったか。遠足?運動会?プール?七夕集会

2、近所で会ったこと

繊細とパワーをもらえるか。お母さんが恋しくなったんだ。

野球?サッカー?パソコンゲーム?けんか

買い物にいったとき何かなかったか。スーパー?酒屋?親切な人

3、家であったこと

お父さんと何かなかったか。いいところ?仕事?くせ

お母さんと何かなかったか。しかられたこと?物忘れ?性格?やさしいところ

兄弟と何かなかったか。けんか?競争?お手伝いなど

4、どこかへ出かけたこと

家族で出かけたときのこと

家族旅行?サッカー観戦?買い物

友達と出かけたときのこと。

野球観戦?友達の家?図書館?公園

5、心で感じたこと

このポイントは、第一のポイントからこのポイントまで、全部関係しています。

うれしかったこと?かなしかったこと

たのしかったこと?こわかったこと。

つまらなかったこと?はらがたったこと

がまんできなかったこと?がんばったこと

話題の中心を詳しく書く-文章の組み立て

ただ、会ったことをずらずらと並べて書くだけでは、その作文で何が言いたいのか、一番印象深く心に残ったことは何か、わからなくなります。

①  今日は、学校でお芝居を見る日です。

②  楽しみにしていたので、私は朝早くおきて顔を洗いました。

③  そして、忘れていた宿題をやりました。

④  朝ごはんを食べていると、犬のジョンが鳴くので、表に出てみると、美代ちゃんが迎えに来ていました。

⑤  私は、あわててご飯を食べて、美代ちゃんと学校へ行きました。

⑥  三時間目に体育館へ行きました。

⑦  『魔法のかけ方教えます』というお芝居を見ました。

⑧  とても面白いお芝居でした。

「はじめ」「なか」「おわり」

①  早く三時間目が家内かと勉強中も落ち着きません。

②  今日は学校で『魔法のかけ方教えます』というお芝居を見る日なのです。

③  いよいよお芝居を見る時間になって体育館へ行きました。

④  これが自分たちの体育館の舞台化と思うくらい立派な舞台ができていました。

⑤  その舞台で役者さんが汗をびっしょりかきながら、わからずやのぽい君に魔法のかけ方を教えるのです。

⑥  何でもぽいぽいすててしまうぽい君に魔法を教えたら困るのですが、教えてもらっているうちに、ぽい君刃物を捨てなくなっていきました。

⑦  とても面白いお芝居でした。

⑧  私もものを捨てないようにしようと思いました。

書き出しのくふう

文章の書き出し方しだいで、読み手は文章に引き込まれて読んでいくものです。それだけに、文章の書き出しには工夫が必要です。

まず、一番書きたいことを最初に書く。

弟の思いやりに、心をうたれました。それは、昨日のことです……

また、書きたいことをよく思い浮かべてみると、その書きたいことの周りの様子も浮かんでくるものです。

その周りの様子から書き始めるのもよいでしょう。

「急に暗くなった空から、大粒の雨がふりだしました。あわてたお父さんが、洗濯物を取り込みにベランダに飛び出して行きました。」

書きたいことの場面の様子、とくにその場面にいた人たちの会話から書き出すと、読み手の心をひきつける。

「誰か玄関に出てみて!」チャイムが鳴ると、お母さんが庭で叫びました。

自分の書きたいこと、考えていることをまず読み手に呼びかけてみてもよいでしょう。

「もし、一日中、ひとりで留守番をするとしたらどうしますか。実は、昨日……」

センセーショナルな出来事:大衆の興味や関心を煽りたてるさま。

段落を考える

飾り言葉を上手に使おう

たとえた言い方

いろいろな文章を書いてみよう

A、読み手とは異なる意見や根拠がある

誰もが当然と思っていることに反対する、誰もが信じている「定説」に疑問を投げだす、(第五冊の練習)といった文章も面白い文章だ。もちろん、それに説得力がなければ、単なる偏屈にすぎないが、説得力があれば「なるほど、そうか」と思わせることができる。

立場の問題:自分の立場をはっきりさせる

 人と違った文章を書くには、自分の立場を明確にすることも大切だ。物事を客観的に見ようとすると、さまざまな面があるために何も言えなくなってしまうことがある。だが、新聞記事を書いている人間でなければ、必ずしも、物事を客観的に捉える必要はない。自分の立場から物事を考えればよい。

なぜ、自分の立場から物事を考えればよいのか。たとえば、主婦の視点や地方に住んでいる人の視点、あるいは高齢者などの視点から考える。そうすることによって、人と違った意見を示すことができる。同時に、自分の「売り物」ができる。立場を決めることで方向性を明確にできる。「私は大学生の立場で考える」とあらかじめ決めておけば、その関連の問題が大学生にどのような観点を持っているかを中心に考えて、自分の立場を鮮明にできるのだ。

B、全部を書かずに、一つに絞って書く

何を書くとき、全部を書こうと思わないことも、大事な点だ。

日常的な場面を思い浮かべていただきたい。旅行会社のガイドがお客さんに注意を予備かけるのに、「集合時間を厳守すること、遅刻をしないこと、バスに忘れないように手荷物をチェックすること。それから、部屋の冷蔵庫の中のものを絶対食べないこと、朝ご飯の時間は7時から8時半までのこと、お部屋の電話で国へ電話するとき、自費でお願いいたします……」といくつものことを言っていたのでは、間違いなく、お客さんたちに注意事項を覚えてもらえないのだろう。

C、たとえ話で相手に理解させる

  作文の中で、話を理論的に展開したり、難しい専門的な言葉を使って表現していくと、なかなか相手に伝わらず、「ぼんやり」とした表情をして読んでいる人がいる。

  こんな時は、たとえ話を入れ込んで書くと、読み手もよく理解してくれるだろう。抽象的、概念的な言葉は実態をつかみにくいだけに、具体的な話が伴わないとその内容が理解しにくい。自分の作文の内容がよく理解されていないなと思うなら、身近な例を使って説明し上げるとよい。そのためには、日ごろから、このような例は、こんな作文の内容のたとえに使うと効果的だと研究を重ねておくようにしたい。

○作文の評価基準(採点基準)

日本語で作文を書く以上、日本語の発想で、できるだけ日本人の発想で、少なくともそれに近い考え方で、思考様式で文章を作成する方がいいだろう。

「(財)日本国際教育協会」により、公表されている採点基準

1.  文法的能力(3~0点)

3点:個々の文についても、文章全体についても、執筆者の意図が明快に理解可能であるもの(文法?表記上の軽微な誤りや文体上やや不自然な点は許容する)

2点:文法?表記上明らかに適切でない点を含むが、文章全体から執筆者の意図は明快に理解可能であるもの。

1点:文法?表記上明らかに適切でない点がかなり目立つが、文章全体から執筆者の意図を想像することは可能であるもの。

0点:意味不明の文が多く、章全体から執筆者の意図を理解することが不可能または極めて困難なもの。

2.  論理的能力(3~0点)

   3点:主張に根拠が示されており、かつ、主張と根拠との間に十分な論理的関係があり、矛盾が認められないもの。

2点:主張に根拠が示されており、概ね論理的な関係が認められるが、一部に論理的矛盾や非整合性も存在するもの。

1点:主張は示されているが、その根拠が示されていない、又は、根拠が示されていても、論理性?客観性を著しく欠いているもの。

0点:筆者自身の主張が示されていない、又は、何を主張したかあいまいであるもの。

小論文

ごみ減少やリサイクルを促進するために、残飯や紙。プラスチック容器などの一般家庭ゴミの回収も有料化するべきだという意見があります。あなたはこの意見に賛成ですが、反対ですか。

                                             (400字程度/20分)

提示:

ゴミの減量化には分別収集してリサイクルにまわす方法と、回収の有料化があります。日本の北海道伊達市のように、回収を有料化したら、ゴミがピークときの37%減となった例のように、目覚しい効果が出ています。しかし、大都市では住民同士の目が行き届きにくく,ゴミの不法投棄が増える恐れがあり、行政も有料化に踏み切れないでいるのが現状でしょう。そのほか、ゴミ回収の功罪は何かについて考えて、あなたの意見を書いてください。

明:

充分だとはいえないかもしれませんが、かなりレベルアップした作文(小論文)を書けるようになっていますね。どこが素晴らしくなっているのか説明しておきますね。
(1)書き方がしっかりとしている。
  テーマには様々な形式があります。4年生のテーマのほうは、質問形式ですよね。このような形式の場合、まずテーマの中で出てくる要素に関して考える必要があります。今回の場合だと、「テレビと読書」のことですね。まずテレビと読書とはどういうものかを述べてくれていますね。そのあと、それぞれの特徴を説明し、結論に導いています。しっかりとした構成をマスターできていますね。
(2)読書に関しての知識を身につけている。
読書というものの特性をしっかりと学習できていますね。いくら書き方がマスター出来ていても知識がなければ文章を書くことはできません。
(3)発想力が土台になっている。
この文章だけでは分かりづらいのですが、便利なもので楽をするよりも、不便でつらいかもしれないけれど、そのほうが自分のためになるという発想をこのお子様は身につけています。今回の場合だと、便利なものが「テレビ」、不便なものが「読書」ということですね。たくさんの知識がなくても、このような発想があるからこそ書けたのだと思います。

补充说明

天津観光名所

 天津、中国の伝統的な美しさと異国情緒にあふれる都市です。東は渤海湾、北は燕山、首都北京から120キロ人口一千万、中国四大直轄市であり、天津市は中国北方における最大の沿海開放都市と環渤海地域の中心、中国の歴史と文化の名所多く集める観光都市として名高いです。

天津がかつて乗船された渡し場の意味から名付けられた天津は、600年の歴史を持ち、伝統、現代、異国の情緒が融合した町風景が形成されています。

天津には名所史跡、美しい自然景観がたくさんあります。中国近代史を代表出来事の数多くの出来事の発生地として、伝統文化と西洋文化の融合を見る独特な人文的な観光資源にも恵まれています。

 天津市は、今海河を中軸に、市街区を中心に、薊県と濱海新区の両翼にする6つの総合観光開発区に取り込んでいます。海河名所観光、市街総合観光、薊県山地名所観光、濱海レジャー観光、天津西南部民族生態観光、天津西北部現代レジャー観光です。この総合的な観光資源開発事業により、天津市は観光地として魅力あふれる渤海湾の真珠の輝きを増しています。

天津は9つの河の下流に位置しますので、縦横に流れる川はその上にかけられた数々の橋、周りの景色などで美しい水の世界と、水路観光コースを形成させています。72キロもの独特な水路観光コースに沿って、水と共生している人文的な景観、優雅な景色、下町情緒満喫でき、東洋のベニスとさえ呼ばれています。

天津では、色とりどりの博物館、記念館、陳列館、美術館を、内容からも数量からも国内屈指のものです。もと天津芸術博物館から立てられた雄大な天津博物館は、総面積は3万1千400平方メートル、20万点の文物が展示されています。

周恩来元総理と夫人鄧頴超女史(敬称)、その青年時代を天津ですごしたので、彼らはここで知識を求め、革命の道を歩み始めました。周恩来鄧頴超記念館は周恩来総理誕生100年記念で開館したものです。雄大で立派な本館は建築面積1万7千平方メートル、IT技術を駆使して、地形の模型と多角度の視線より、当時壮大な戦争の場面を再現しています。

天津自然博物館、その前身は1914年に建てられた北彊博物館で、館内に38万点の文物が収蔵されています。

天津科学技術館、中国大陸において進んだ設備を持つ大型の科学技術展示館の一つで、音、映像、光、電気などのコーナーがあり、世界最先端の科学技術成果が展示されています。

天津演劇博物館である広東会館は、天津で現存する最大規模、よく保存されている清の時代の会館で、伸び出し式の舞台では今なおすばらしい演劇を楽しめます。

唯一の古海岸、貝博物館、歳月の流れ、世の移り変わりの後を刻んでいます。

名人の旧居

  天津では人文的な景観が密集しているところです。ところどころ名人の旧居が見られ、近代歴史の足跡がうかがえます。辛亥革命後、首都の政治的な裏庭になっていて、政権を失った大統領、政客など次から次へと天津に移り住んでいました。天津の五大通り、ここはかつて九カ国の租界地で、各国の風格の建物がそのまま残っていて、「万国建築博物館」と呼ばれています。これらの建物の多くは、近代中国の名人の旧居で、張学良、ラストエンペラーの溥儀、アメリカ元大統領、ハーバード?フーバが若い時の旧居もあります、袁世凱をはじめ、民国大統領五人、総理大臣六人、清の時代の遺老、政客、実業家、銀行家などがかつてここに住んだことがあります。

 清末の太監小徳張の旧居であった慶王府は、伝統的な古風と西洋風とよく調和した豪華な建築で、観光客の目を引いています。

 イタリア風景観光ゾン、ヨーロッパ、アベニ半島の風格で、調和のとれた建築風格が、各々異なっています。名高い梁啓超の旧居とその書斎---飲氷室もここにあります。これらの異国風の独特な建築、歴史上の名人の旧居と、歴史の重大事件と相まって、近代歴史文化の独特な観光資源を作り上げています。観光客は豪華な観光馬車で、立ち並んでいる西洋の建築をめぐり、歴史を,積み重ねた文化の重厚さを実感できます。

ショッピング?レジャーの旅

 天津は古くから商工業として賑わい、ほぼ市内全域にわたり、各種類の店が軒を貫いています。高い古文化街、中国東北部の民俗を集大成したところで、全長687メートルです。天津で有名な楊柳青年画、泥人形、タコなどの店も、ここに支店を設けてあります。

 古い市街地の中心にある古楼は、お祭りなどを行われる場所です。百年の歴史を持っている商業街である平和路の金街通りには、大都市の独特の魅力にあふれて、街を歩きながら、並んでいるさまざまな店に気楽(気軽)に立ち寄れます。

 中国各地の本場料理の味を賞味できる食品街、外国の製品でにぎわう商店街、天津のウォール街で知られている金融街が更に魅力的なところです。

自然観光

 都会の裏の庭園と呼ばれている薊県は、山紫水明なところで、自然景観が歴史、人文的景観と相まって、絶好の観光リゾートとなっています。世界でも知られている「中上元古界遺跡」があり、水生岩、積み重なっています。3億年前と4億年前の岩が互いに隣り合っています。

 黄崖関長城は、今から1400年前につくられたもので、遠くから眺めると、まるで雲海の中の青龍が山々の崖に○○○を撒いているようです。唐の時代に建てられた、1千年の古刹―独楽寺、中国現存のもっとも古い楼閣式の木造の建築で、中にある16メートルの観音像は、泥でできた遼の時代の芸術品です。国立国家公園盤山、四季折々の景色が異なります。春は花、夏は急流、秋は果実、冬は雪。

清の乾龍皇帝は、かつて32回も盤山を訪れました。

 国家森林公園である九龍山、国家自然博物館の八仙山、八仙山は、観光客は観光にもってこいのところです。昔、八の仙人が東海を漫遊した時、この絶景に心を惹かれ、帰りも忘れた伝説があるぐらい原生桃源郷のような景観を楽しめます。

 西青区には、河北地域最大規模を誇るお花の卸売り市場があり、アジア最大の熱帯植物園もここにあります。園内の面積4万平方メートルで、珍しい植物が3千種類にも達しています。

民俗文化の旅

 古文化街の真ん中にある天後宮は、中国北部でもっとも大きな媽祖廟で、百年も言い伝えられてきた海の守り神として民間の信仰を集められています。

 天津の西にある楊柳青という町は、清の時代の乾龍年間からも中国の4大名地としてきた。世間になおはせている「楊柳青年画」の産地はここにあり、楊柳の枝がよろめき、各々の家が、絵を描いたり、染めたりする昔ながらの素朴な民俗風習が、そのまま受け継がれています。

 名が知られている石家旧宅は、現在中国北部最大規模でよく保存されている古風な民宅建築のひとつです。

 ほかに、精武会の創始者―霍元甲の旧居とおはかがあります。

 天津は移民の都市です。多民族が同居していて、他宗教への信仰に対する寛容さもうかがえます。

 大悲善院、百年の仏をもつところ、かつて唐の玄宗法師の霊骨を安置されたことがあります。

望海楼、1869年に造られたもので、ゴシック建築風のカトリック教の教会です。―西開教会、天津カトリック教の教会の中心で、1916年に作られ、フランス人が立てられたロマンチックな建築で、そのまま残っています。

清の順治年間に造られたイスラム教の寺院など宗教に関する場所が現存されています。

水の旅

  海は天津観光のメインテーマです。市街区の東部に位置されている濱海観光レジャー?エリアには、地元の観光資源を開発してできた港湾遊覧、観音様参詣、漁民の体験などの日帰り旅行が含まれています。大沽砲台は、天津ベストテンに数えられる観光スポットで、歴史を思わせるところです。新しく作られた埠頭で、空母を迎えたり、海河バンドを、観光客により多くの楽しめを増しています。海のにおいの風に伴いながら、情緒の町を歩きながら、現代的な町を肌で感じることもできます。

お祭りの旅

毎年、天津では、一連の大型の観光イベントがおこなわれます。天津民俗観光祭り、黄崖関観光長城マラソン大会、ヨーロッパ大陸風景観光祭り、天津媽祖文化観光祭り、国際民俗風景観光祭り、国際竜舟大会、観光葡萄狩り観光祭りなどがあります。

都市の発展とともに、次第に自然、人文と社会的な景観が洗練されています。天津の美しい自然美と都市の繁華美を満喫してから、肉まん、揚げ餅、麻花など天津ならではの名物をご賞味になされば、さらに格別なおいしさを味わうことができます。宿泊、グルメ、遊びが存分楽しめます。曲芸の里として各地の民間芸能を集大成、さまざまの地方劇の発祥地となっています。

海に親しみ観光をテーマとする天津ならではの濱海観光資源をさらに開発し、渤海湾の真珠,魅力あふれる天津という新しい観光都市像がすでにできており、天津よ、環渤海ないし北東アジア地域における有名な観光レジャー都市になるように、天津市の空けての努力を求めています。

天津を堪能するには、東は渤海風貌、西は民俗風情、南は生態植物美、北は漁陽の文化史跡、市内は繁華美をそれぞれ満喫できます。

中国近代の歴史の精髄をもち、現代文明に彩られた天津は、かつてない活気に満ちあふれています。天津観光は、きっとその独特の魅力をもって観光客を魅了するでしょう。

第一課  日本の鉄道

 日本には、JR、私鉄、公営の三種類の鉄道会社があります。JRとは、Japan Railwaysの略です。以前は国営の鉄道でしたが、1987年に民営化されました。世界的に有名な新幹線もJRの路線の一つで、日本の主要な都市と都市を結んでいます。最高時速は300キロを超えます。最初に完成したのは東海道新幹線ですが、山陽新幹線、東北新幹線、九州新幹線など、路線がどんどん延びています。

 私鉄とは、JR以外の民間企業が経営する鉄道会社で、大都市には大きな私鉄がたくさんあります。また、公営の鉄道は、地方自治体などが経営するものです。

 中国の鉄道は、ほとんど国営です。主要都市を結ぶ路線はもちろん、世界で初めて実用化されたリニアモーターカーも国営です。

 ところで、JRや私鉄の各路線は、運行の方向を表すのに特別な言葉を使っています。それは、「上り」「くだり」という言葉です。特に本州では、地方から東京方面へ向かう路線を「上り」といい、東京から地方へ向かう路線を「下り」といいます。

 そこで、こんななぞがあります。「日本で一番たかい駅はどこでしょう。」答えは東京駅です。東京駅は「上り」の最終の駅になっているからです。

第二課  あいさつの時の礼儀

 日本同士があいさつする時は、普通お辞儀をします。中国ではあいさつをする時、握手をするのが普通ですが、日本人は、握手よりもお辞儀をするのが一般的です。お辞儀をする時は腰から上を前のほうに傾けます。お辞儀の角度には、首を曲げるだけの軽いものから深く頭を下げるものまで、いろいろあります。普通、初対面の時には深く頭を下げて、丁寧なお辞儀をします。

 仕事で初対面の人に会った時は、名刺を出します。名刺の出し方と受け取り方にも決まりがあります。相手が目上の時は、まず自分から先に名刺を出して深いお辞儀をし、次に相手の名刺をお辞儀しながら受け取ります。出す時も受け取る時も、両手を使うほうが丁寧です。

 また、話す内容にも気をつけなければなりません。初対面の時は、個人的なことを聞かないのが普通です。特に仕事の場で出会った相手は、個人的な質問は避けたほうがいいでしょう。結婚しているかどうか、給料はいくらか、年はいくつかなどは、普通は聞きません。

 大事なのは、相手に不快感を与えないことです。いくら丁寧な言葉であいさつしても、怖い顔をしていては、相手にいい印象を与えることはできません。気持ちがこもっているかどうかは、予想以上に相手に伝わってしまうものです。

第3課 名字

中国の「名字」は多くの場合、姓と名の両方を指しますが、日本語では家族の姓を「名字」といいます。

 すべての日本人は名字を持つようになったのは、明治時代になってからです。当時の政府が、すべての国民が名字を持つことを法律で決めました。それまで名字を持っていたのは武士や貴族だけでした。ですから、突然名字を持てと言われても、どんな名字を持てばいいのか分かりません。人々は慌てました。

 しかし、名字をつけないわけにはいきません。そこで、多くの人が、地名や地形から名字をつけました。日本の名字に、「木」「林」「山」「川」など自然に関係する漢字が多いのは、そのためです。家が谷の中にあるから「中谷」、近くに大きな杉の木があるから「大杉」とつけられた名字もたくさんあります。また、日本で最も多い「佐藤」や「鈴木」は、昔の武士の名字や、地名からつけられた名字だといわれています。

 日本人の名字の種類は、30万近くあります。それでも世界の第2位です。第1位は多民族国家のアメリカで、その数は160万を超えています。一方、最も少ないのが韓国で300程度しかありません。また、世界でいちばん人数の多い姓は「李」で、約1億人いるそうです。

第4課 近年サラリーマン事情

かつて、日本のサラリーマンといえば、朝早く家を出て家に帰るのは深夜になり、残業や休日出勤をするのは当たり前でした。近年、週休2日制の導入や労働時間を減らす取り組みなどが実施され、サラリーマンの生活は変化してきました。

 週休2日制は1980年から企業に導入されてきました。1992年には国家公務員に、2002年には小·中学校にこの制度が導入されました。2005年の調査によると、日本の企業の89%が、週休2日制を実施しています。

 さらに、フレックスタイム制度を導入する会社も増えています。これは、自分の出勤と退勤の時間を自由に決められる制度です。労働者が自分の生活と仕事のバランスを取りながら、働くことができるように設けたれました。

 また、日本の会社には、育児休暇の制度がありますが、これまでこの制度を利用するのは、ほとんど女性でした。男性の場合、会社での理解が得られないのではないか、出世の妨げとなるのはないかと考える人が多かったからです。近年、家族との時間を大切にしたいと考えて、この制度を利用する男性が見られるようになりました。

 このように、日本のサラリーマンの働き方は、かつてと比べると大きく変化しています。都会での時間に追われる生活をやめて、田舎に引っ越す人もいます。

第五課 日本語の語彙

日本語に単語を、元の言葉は何かという点から分類すると、「和語」「漢語」「外来語」「混種語」の4つに分けることができる。和語はもともと日本語にあった言葉で、漢語は中国語から取り入れられた言葉だ。漢語は「音読み」する。音読みとは、昔に中国語の発音に基づいた読み方だ。外来語は主に19世紀以降、西洋を中心とした外国から取り入れられた言葉で、普通片仮名で書く。更に、和語、漢語。外来語のうち、2つ以上を組み合わせてできた言葉を混種語と呼ぶ。「消しゴム」や「マラソン大会」「正月休み」などの言葉だ。

同じ漢字で表される言葉でも、漢語か和語かで意味が違うことがある。例えば「生物」と言う言葉でも、漢語として「せいぶつ」と読む、動物や植物の総称となるが、和語として「なまもの」と読むと、煮たり焼いたりしていない食べ物と言う意味になる。だから「生物を食べる」と言う文を「せいぶつをたぶる」と読むと、意味がよく分からなくなってしまう。

漢語、和語に外来語が加わると、更に意味の違いが出て来る。例えば、宿泊施設を言う場合、「旅館」というと、たいていの人は、畳に上に布団を敷いて寝るような部屋を想像する。一方、「ホテル」と言うと、ベッドで寝る部屋を想像することが多い。

第六課 「はしの文化」さまざま

手、はし、フォーク、ナイフ、スプーンなど、食べる時に何を使うかは、食事の内容や習慣によって違う。

日本では、洋食はナイフとフォーク、スプーンで食べ、和食は、はしを使う。中国や韓国では、スープをスプーンやれんげを使って食べるが、日本のみそ汁は、おわんを持ち上げ、直接口をつけて食べる、具を食べる時はもちろんはしを使う。

「はし」といっても、その形や材料は国や地域によって違う。中国のはしは長くて、先端が丸く太さがあまり変わらない。材料は木や竹、プラスチックのほか、玉や金属のものもある。韓国のはしは中国より少し短く、やや平らな形っをしている。ステンレスなど、金属製のものが一般的だ。日本のはしは韓国のものに比べてさらに短く、先のほうは細くなっていて、とがっている。材質は木や竹が多く、漆が塗られていることもある。

日本の家庭には、自分専用のはしや茶わんを使う。食事は一人一人、お皿や茶わんに分けて出されるのが一般的だが、大皿から料理を取る時は、取りばしを使うのが、正式なマナーだとされる。

食事の時にはしを使うのは、中国、韓国、ベトナム、日本などで、世界の人口の約三割だと言うが、同じ「はしを使う」文化も、実にさまざまだ。 

第八課 カップラーメン

カップラーメンには、お湯を注いで三分待つだけで、どこでも手軽に食べられる。

現在、世界中で愛されているカップラーメンを開発したのは、日清食品の創業者。安藤百福だ。1958年にインスタントラーメンヲ開発した安藤は、すでにこの時期、「インスタントラーメンの国際化」という夢を持っていた。

ある年、安藤はキャンペーンのためにアメリカを訪れ、インスタントラーメンを試食してもらった。すると、相手はどんぶりを使う代わりに紙コップを使い、その中に砕いたインスタントラーメンをいれ、お湯を注いで、フォークで食べ始めた。

安藤はこれに驚き、「フォークの文化圏では、インスタントラーメンもフォークで食べられるようにしなければならない」「どんぶりに代わる新しい容器が必要だ」と考えた。そして、新しい味をどんぶりではない新しい容器で販売し、フォークで食べられるようにすれば、インスタントラーメンは国際商品になると確信した。

しかし、開発は簡単ではなかった。容器の材料は、ガラス、紙、プラスチック、金属と、同時考えられるだけのものが集められた。さまざまの工夫の末、「発泡スチロール」が採用された。容器の形についても試作が繰り返された。片手で持てて、手から滑り落ちない形を理想として、現在の形が生まれた。

こうして、カップラーメンは1971年に発売した。さまざまなキャンペーンが行われ、今では世界中に広がり、80カ国以上の国で食べられている。

第十課 温泉大国、日本

日本には,全国に約3000の温泉地があり、利用者は1年間に延べ1億4千万人以上といわれている。

温泉と言えば、地中から湧き出る暖かいお湯のことだと思っている人も多い。しかし、冷たい水でも、規定の成分を含んでいれば温泉と言う、温泉の色は、透明なものから白く濁ったものや青色をしたものまでさまざまである。また、成分の違いによって、神経痛や皮膚病、高血圧などいろいろな病気に効くといわれている。

かつて、温泉は病気やけがの治療に使われている。今は、環境を変えてのんびりするために利用する人がほとんどだ。温泉の多くは自然の豊かな場所にある。だから、緑を見ながら、露天風呂に入ったり、広い風呂でたっぷりのお湯につかったりすることによって、リラックスできるのだろう。

温泉地では、お客を集めるために工夫をしている。例えば、宿泊する人以外がホテルや旅館の入浴施設を有料で使用できる「日帰り温泉」がある。「入浴+昼ごはん」や、「入浴+部屋での休憩」など、宿泊する時間のないのためにさまざまなプランもある。最近では、「日帰り入浴」専用の施設も増えてきている。

また銭湯といって、安い値段で入浴できる施設もある。銭湯とは、多くの家にお風呂がなっかたころに作られた入浴施設のことだ。現在ではその数も少なくなってきているが、最近では、「スーパー銭湯」が出てきて人気を集めている。普通の銭湯より値段は高いが、いろいろな種類のお風呂やマッサージ、エステなどがあり、1日中楽しめる。「スーパー銭湯」は忙しい人たちのちょっとしたいやしの場になっているのだ。

第十一課   漫画とアニメ

日本にきた外国人は、電車などでサラリーマンが夢中になって漫画を読んでいる光景を見て驚くという。日本の漫画は、子供向けから成人向けまで、対象の年代ごとにさまざまな種類がある。会社員の生活や、経済ん関するものなど、大人にしか楽しめない内容の漫画も多くある。一方、子供向けの漫画でも、大人向けのものが多い。近年、中国では『クレヨンしんちゃん』『ドラえもん』『ちびまるこちゃん』などの漫画あ子供だけでなく、大人からも人気を集めている。

日本のテレビアニメも外国での評価が高い。日本で最初のテレビアニメは1963年の『鉄腕アトム』だ。漫画をアニメ化したものだが、その画質は今とは比べものにならないほど悪かった。その後、デジタル技術の開発が進むとともに、高画質の活き活きとした映像は生み出されるようになった。『ドタエもん』『クレヨンしんしゃん』などの漫画も、テレビ番組用にアニメ化され、高視聴率を獲得した。

やがて、最尖端のダジタル技術を使ったアニメが映画館のスクリーンに登場し、娯楽性や芸術性の高い作品が次々に政策されるようになった

20##年に公開された『千と千尋の神隠し』は、その豊かの想像力と高い表現力が世界的にも高く評価された。

第十二課  方言と共通語

 中国は多民族国家で、民族によって使用する言語が異なっている、また中国語も一つではなく、かなりの数の方言が存在する。それぞれの方言は発音も文法も語彙も大きく違っている。日本語においても、発音、文法、語彙など、値域による言葉の違いがある。

まず、発音やアクセトの違いがある。例えば、『はし』という言葉だ。『箸』の『はし』、『橋』の『はし』。ほかにも異なった意味があるが、この二つの意味で考えてみよう。

共通語(東京方言) では、『箸』は『は』を高く、『し』を低く言う(①) 。『橋』は『は』を低く、『し』を高く言う(②) 。

①はし(高低)       ②はし(低高)

一方、京都など関西地方では、『箸』は『はし(②)』、『橋』のほうは『はし(①)』と発音する。『はし』という言葉の意味は、方言によって変わることになる。

方言の違いによってコンナ誤解が起きることもある。例えば、東北地方に『なげる』という方言がある。これは『捨てる』という意味だが、方言を知らない人が『これをなげて』と言われて、『投げる』だと解釈して、ごみを投げ返して怒られたという話がある。また、関西地方には『ほかす』という方言がある。やはり『捨てる』という意味だが、これを『保管して』と聞き間違え、要らないものを大切に保管してしまったという話もある。

現在では、ラジオやテレビでは東京の言葉を基本にした共通語が使われ、地方の日常生活にも共通語が浸透している。

第十三課 日本の人口が減っている——少子化

世界の人口は増加する一方だが、日本の人口は減り始めている。2005年の統計によると、世界の人口は約65億人で、前の年より約7550万人も増えている。それに対して、日本の人口は約1億2775万人で、前の年から約1万人も減少している。

その原因の一つは、生まれる子供の数が少なくなっていることにある。こうした現象を「少子化」と呼んでいるが、この傾向は今後も続いていくと予測されている。

「少子化」の背景には、結婚、出産、育児に対する人々の意識の変化がある。例えば、結婚年齢が遅くなる「晩婚化」の傾向は、年々強まっている。結婚時の女性の平均年齢は、1977年には25.0歳、1992年には26.0歳、2004年には27.8歳になった。高齢者になると出産を控える傾向が強まり、一人の女性が出産する子供の数を示す「出生率」が下がる。それが少子化の原因につながっている。

また、物価の上昇、高額な税金、住宅問題などのために、結婚をしても子供を作らない夫婦が増えている。自分の意志で結婚しない人増えており、「非婚率」も上がっている。

2003年の年間出産数は、1973年の約半分に減った。政府も出生率の低下を防ぐための取り組みを行っている。しかし、人々の意識が簡単に変わるわけはなく、結果が出るまでには、長い年月が必要だろう。

第十四課  日本の就職活動

1、       面接は話す場であり、文を読む場ではない。志望動機や自己PRなど、履歴書に書いたものをそのまま話すのはよくない。

2、       会社の建物に入り、出るまでが採用試験である。受付での話し方や待合室での態度なども評価の対象になる。

3、       面接では初めの印象が大切である。清潔感のあるきちんとした服装をすること。

 

これは、就職活動をする学生のために書かれたガイドブックの一部である。

 毎年、新学期が始まるころから、街にリクルートスーツを着た学生たちの姿が見られるようになる。リクルートスーツというのは、希望する会社を訪問する際の服装のことで、男女を問わず、黒か濃い紺色、灰色の地味な色のスーツを指す。

 就職の氷河期は過ぎたといっても、希望する会社に簡単に就職できるわけではない。日本の若者に人気のある職種は、銀行や出版社、自動車メーカーなどだが、自分の希望する会社に就職できる人は、ごく一部しかない。

 就職活動は、まず、希望する職種の会社を選択することから始まる。会社のホームページを見たり、会社を訪問したりして採用試験の申し込みをする。最近ではパソコンから申し込みをすることもできる。

1次試験、2次試験、3次試験とたくさんの試験を受けなければならない。面接も一度だけでなく、二度、三度と行うことが多い。これらの試験を突破して初めて内定をもらうことになる。学生たちは、少しでも早い時期から就職活動の準備を始めて、希望に会社に就職できるよう努力している。

第十五課 日本レストラン事情

日本にはいろいろなレストランがあり、日本料理、中華料理、フランス料理、イタリア料理など、世界中の料理を楽しむことができる。

料理の種類によって、さまざまな専門店がある。ラーメン、ハンバーガー、ステーキ、パスタなど、実に多様である。日本料理の専門店も多い。「うどん」「そば」「天ぷら」「寿司」「すき焼き」など、これもまた多様である。

日本では、レストランへ行って席に着くと、たいてい「おしぼり」が出てくる。また、注文の前にお茶や冷たい水が無料で出てくる。そのあと、メニューを見ながら料理を注文する。

日本の料理には、おもしろい名前のものがある。例えば、「親子丼」というのは、とり肉と卵を調理してご飯に載せた料理である。とり肉と卵は親と子であることから付いた名前だ。ほかに、「他人丼」という料理もある。豚肉や牛肉と卵を料理してご飯に載せた料理である。豚肉と卵は「親子」ではなく「他人」だからである。

では、「キツネうどん」というのはどんな料理だろうか。決してキツネの肉が入ったうどんではない。うどんの上に、「油揚げ」という、豆腐を揚げた物を載せた料理だ。油揚げの色がキツネのような色だからとか、油揚げがキツネの好物だから、という理由でこんな名前が付けられたという。

第十六課  変わる結婚式

日本の結婚式には、さまざまなスタイルがある。その中でも、神社での「神前結婚式」、教会での「キリスト教式結婚式」、親戚や友人たちの前で行う「人前結婚式」が一般的なものだろう。

キリスト教式で結婚式を和挙げるからといって、キリスト教の信者であるとは限らない。ウエディングドレスが着たいからとか、教会で挙式したいからなど、自分の好みで挙式のスタイルを決める人が多く、宗教で決める人は少数である。ホテルや結婚式場には、挙式の場所が設けられているので、実際に神社や教会へ行く人の数は少ない。さらに、海外で挙式をする人も多くなっている。

下のグラフは、ある出版社は首都圏の夫婦組に対して行ったアンケートの結果をまとめたものである。これを見ると、挙式の形式が時代とともに変わってきていることがわかる。年には「キリスト教式結婚式」が、「人前結婚式」がであったのに対して、年では、それぞれに増えた。一方、伝統的な挙式形式である「神前結婚式」は、年には年の分のまで減少した。このように、結婚式に対する人々の意識は、時代とともに変化してきている。

結婚式の後には普通、披露宴を行う。披露宴は、親戚や友人、同僚らを招いて行うパーティーである。披露宴の場所は、以前はホテルと結婚式場が分の近くを占めていた。最近ではレストランなどの会場を利用する人も多くなっている。

第十七課 北京の顔

 北京のほぼ中心部にある景山公園は、市民の憩いの場である。休日には、若いカップルや家族連れ、旅行者でにぎわう。

 公園の周囲には「胡同」と呼ばれる狭い路地が無数に存在している。

 「胡同」を知るには、歴史を約700年前までさかのぼらなければならない。13世紀、元の時代に、敵から市民を守るため、石垣が作られ、その中に住宅が作られた。この住居を取り囲むように通っているのが「胡同」である。

 「胡同」は長い間、北京市民の大切な生活の場であった。路地には朝市が頻繁に開かれ、屋台が並ぶ。時には自転車置き場にもなる。胡同には役割によってさまざまな名前が付けられている。現在でも入口に名前が書かれた看板がかかっている路地も多い。かつて金銭の取引所があった「銭市胡同」、刃物を研ぐ職人が暮らしていた「磨刀胡同」など、昔のままの名前も残っている。

 胡同が作られた当時、「四合院」と呼ばれる、中国の伝統的な家屋も作られた。東西南北の棟が、庭を中心に建てられている。最近では、この四合院をホテルやレストランに改造しているところもある。

 胡同は元の時代にはせいぜい本だったが、明の時代には本に、年代には本を超えた。その長さから、北京の胡同をつなぐと「もうつの万里の長城になる」とまで言われたそうである。

 残念なことに、近代化が進み、胡同の数が急激に減ってきてしまった。ただ、その一方、古い建物を残そうとする動機もある。北京市ではか所の歴史文化保護区を指定して、町並びを保存することを決めた。新しいものと古いものが混在する北京は、今変革の期を迎えている。

読み方:銭市胡同:チェンシーフートン

磨刀胡同:モータオフートン

第十八課  手紙

佐藤から北上貿易への手紙

パンフレット送付の手紙

第十九課 水道水の話

東京の水道は、かつて「まずい水」の代名詞だった。かび臭い、濁っているなどの苦情が水道局に寄せられ、浄水器をつけたり、一度沸かしてから飲んだりする人が多かった。

ところが、この水道水が変わりつつある。東京都庁の売店には、大手飲料メーカーのミネラルのボドルの間に,都の水道局が販売する「東京水」が並ぶ。

ラベルには「原材料名:水(水道水)」とある。都内の浄水場で処理した水をボトルに詰めて販売していて、味もおいしいと評判だ。この「東京水」の販売は東京都水道局が進めている「安全でおいしい水プロジェクト」キャンペーンの一つだ。

キャンペーンでは、貯水池並びに河川の水質管理、浄水処理施設の改善など、さまざま取り組みを行っている。1992年には金町浄水場(葛飾区)に、オゾンや活性炭を使って微生物などを取り除く特別な装置を導入した。さらに、マンションの貯水槽や水道管が古くなって、浄水場から運ばれる水が汚染されてしまうこともあるため、水道局では水道管や貯水槽を調査したり。取り替えたりしているこれらの対策が進むのに伴って、おいしくて安全な水を届けることができるようになtってきた。

さらに、キャンペーンのもと、水源の森林を守るための取り組みも進んでいる。森林に降った雨は、地面に積もった落ち葉をゆっくりと通過し、土に染み込み、そして、川に少しずつ流れ込む。森林は、水道水のもとになるきれいな水を作る一方で、土砂がダムに流れ込まないようにする働きをしている。この「緑のダム」ともいえる森林を守り、育てることによって、いつか、ミネラルウオーターよ

りもおいしくて、安全な水が飲めるかもしれない。そんな期待が高まりつつある。

第二十課 太極拳で広がる交流

太極拳は歴史と伝統のある拳法である。誰もが持っている体のエネルギーつまり「気」で戦う拳法なので、体が小さい人や、力が弱い人にも向いた護身術だといわれている。健康法としても高く評価されていて、中国の公園や広場では太極拳をする人たちをよく見かける。

公園や広場でよく見る太極拳は、「簡化24式太極拳」と呼ばれ、元中国体育委員会が一般に広く普及させるために制定したものである。拳法というよりもむしろ健康のための体操で、血液の循環をよくして、内臓の機能を高める。肩にり、腰痛など、体の不調ばかりでなく、ストレスを解消するのにも役立つといわれている。

こうした効用は世界的に認められている。アメリカやヨーロッパでも健康のために太極拳を興味にしている人は多い。日本でも100万人以上の愛好者がいて、全国的に大きなブームになっている。『太極拳市』として全市民で愛好していつ地域さえあるほどだ。日本では高齢化が進んでいるが、この市も高齢者が人口の四分の一以上を占めている。市長の提案で太極拳を推進し、市民の健康作りに役立てることにした。市は、練習所や体育館を作り,講習を行い、ラジオで毎朝35分間太極拳の音楽を放送した。その酔うな数々の努力が実を結び、大勢の市民が参加するようになった。実際、太極拳を始める前よりも健康になったという高齢者も多い。また、高齢者の医療、介護に関わる市の財政負担が軽減される期待されている。

太極拳の「効用」は単に健康の側面だけではない。中国と日本のつながりを強める役目もt果たしている。多くの日本人が本場中国の太極拳を体験するため、中国を訪れている。また本家、中国からも太極拳の愛好者が日本に来るようになった。太極拳で日中の交流が広がっている。北京オリンピックを境にさらに普及し、世界が太極拳によって心を一つにする時代が来るのではないだろうか。そんな未来も夢ではないと多くの太極拳愛好者は考えている。

第二十一課 中国茶の歴史

 中国茶はもともと薬として使われていた。疲れたを取ったり、気分をすっきりさせたりする効用があるとされ、リューマチの痛みを和らげる塗り薬としても高く評価されていた。嗜好品として飲まれるようになったのは3世紀以降である。時代になると広く栽培されるようになり、生産量が飛躍的に増加した。現在、中国の茶の産量は、世界の3分の1近くを占めている。

 中国茶は、発酵の進み方によって香りや色が異なり、緑茶、紅茶、ウーロン茶などいくつかの種類に分けられる。すべての茶の元といわれているのが緑茶で、現在では中国各地でその土地独自の品種が育っている。

 ジャスミン茶は茶に花の香りをつけ花茶の代表である。ジャスミンの他に、キンモクセイの香りをつけた茶もある。ウーロン茶は福建省が産地として知られている。日本で中国茶として最も有名なのがウーロン茶で、よく飲まれているが、中国では必ずしもだれもが飲んでいるわけではない。雲南省が産地のプーアル茶は独特な香りが特徴で、体内の脂肪を流す効果がある。また血液中のコレステロールを減らして血液の循環を良くするとも言われている。

 日本を始めヨーロッパ、中東に至るまで、茶はすべて中国から伝えられた。中国茶は、すべての茶のルーツだといっても過言ではない。「茶」という言葉の音がそれを示している。日本語では茶を中国と同じチャと発音する。この「チャ」は、ほかにも、ヒンディー語、アラビア語、トルコ語、ロシア語、ポルトがル語などに入った。福建地方で話される福建語の「テ」はオランダ語で、ドイツ語、英語、フランス語などの言語に入って、「ティ」あるいは「テ」となった。

 ところで、日本に茶が伝わったのは8世紀ごろと言われるが、そのごろはもっぱら薬として用いられた。本格的に飲まれるようになったのは、12世紀末のことである。

第二十二課 デジタルカメラ新製品紹介

 三村電気から、「MIT-7900」、2010年1月上旬より新発売!

 「MIT-7900」は、使いやすいコンパクトサイズのカメラでありながり、充実した機能を満載し、写真の可能性を大きく広げる未来型のデジタルカメラです。

 初心者の方も安心して美しい写真を撮影できる撮影できる楽々操作。ダイヤルをあわせるだけで、綺麗な夕焼けも、美しい夜景も、迫力の打ち上げ花火も思いのままに撮影でいます。また、新開発レンズの採用により、暗い場所でもフラッシュなしで背景まで撮影することが可能となりました。さらに、動画撮影機能も搭載しており、どんなシーンも思いとおりに美しく撮影することができます。

 思い出mp1枚wp高画質でと取れることに加え、操作のしやすさも充実しています。「MIT-7900」は、カメラを持った状態で片手でも簡単に操作できるよう、撮影時や再生時に使用するボタンやレバーの配置が工夫されています。1回の充電で350枚の長時間撮影が可能。乾電池も使用することが出来、外出先でも安心です。

 「MIT-7900」は、手の平に乗る約180gの小型軽量、スタイリッシュで持ちやすい形とサイズ。ボディには人気のアルミ素材を使用しており、使うたびに愛着が深まる、こだわりのデザインです。

 色は、シルバー、ブラック、ピンクの3色。メモリカード、充電用電池、パソコン接続用のケーブルがセットになっています。

 あなたの使い方次第で豊かなデジタルカメラがお楽しみいただけます。

第二十三課 水郷の町

 水郷の町といえば「江南古鎮」がいちばんだ。江南とは長江下流の南岸、古鎮とは古い町の意味である。烏鎮、周荘、同里、朱家角などを指し、城を持たない水上都市として、明らか清の時代にかけて大きく発展した。運河に沿って続く古鎮の風景は、1年を通じてそれぞれに魅力があるが、初春の風景はひときわすばらしい。水郷ならではの景色と素朴な暮らしが見られる。

 古鎮の路地は一般に狭くて長い。石畳の細い道が古い建物の間を延々と続く。特に烏鎮の路地は必見だ。またこの町の「昆劇」や「越劇」などの伝統劇は人気が高い。周荘の運河巡りはぜひとも体験したい。船頭の歌う歌を聞きながら、元、明、清の時代に建てられた14の橋を巡る。この街の住宅のうち、6割は明清に時代に建てられたもので、特に、清の時代に建てられた「審庁」の柱や門に施された彫刻は傑作だ。西塘では、運河沿いに日差しや雨風を避けるためのひさしがついた1キロにもわたる長い道に目を見張ることだろう。

 同里には古い橋と明清時代の建築が多い。見どころは世界遺産に登録されている富豪の家「退思園」だ。清の終わりに作られた林のような庭園は江南庭園を代表するもので、その美しさは見飽きることがない。

 朱家角は北大街の商店街が楽しい。明清時代の雰囲気が色濃く残っている道幅の狭い商店街で、両側の屋根の間から空が狭い線のように見えることから「一線街」ともいわれている。町の北東にかかる「放生橋」は朱家角のシンボルになっている。

 「江南古鎮」への観光は、上海、杭州、蘇州から出発する。烏鎮、周荘、西塘、朱家角へは上海から、同里へは蘇州からのアクセスが便利だ。

第二十四課 CM

 一般の視聴者にとって、CMは迷惑なものと考えられがちだ。確かに、スポーツの緊迫した試合や感動的なドラマがCMで中断されたりすると、そう思ってしまうのも無理はない。しかし、ほぼすべての放送局は広告収入によって運営されている。したがって、番組のものよりも、CMを見てもらうことこそが放送の目的だといっても言い過ぎではない。

 そうはいっても、視聴者が、企業の広告ではなく番組のためにテレビを見る以上、広告主の企業や放送局と視聴者の利害は常に対立することになる。CMを見せる側は、あの手この手を使って、何とか嫌がる視聴者がチャンネルを変えないように努力しなければならないわけだ。

 例えば、商品名や企業名は、普通に言うよりも歌にしたほうが記憶に残りやすい。そこでCMソングが生まれる。知らない人よろも知っている人が商品を紹介したほうが親しみやすい。そこで、人気タレントをCMに起用する。実際、世界の一流映画スターや歌手がCMの出演することさえ珍しくない。また、これとは逆に、CM出演によって有名になる俳優や、CMに使われたのがきっかけでヒットする歌も少なくない。1日に何度も放送されるから、知らず知らずのうちに顔やメロディを覚えてしまうのである。

 日本ではCMのコンテストがしばしば開催されている。それらに入賞するCMの中には、15秒や30秒という短い時間に見事なドラマを作り上げているものや、映像表現として優れたものも多い。また、企業の社会的貢献を紹介したり、環境問題などについての社会的なメッセージを発信したりするCMも増えている。これらは、商品の宣伝を直接的に訴えるというよりも、企業イメージそのものを伝えるためのCMといってよいだろう。

 CMとは、わずか1分足らずの時間のために、莫大な手間と費用をかけて作られた映像作品なのだ。

第二十五課 日本の寿司から世界のSUSHI

 今、世界中で寿司が大人気だ。中国をはじめとしたアジアの国々、ヨーロッパやアメリカ、中東、ロシアなどにも、数えきれないほどの日本食レストランがある。また、大都市のスーパーでは巻き寿司や握り寿司が普通に売られている。長い間、生の魚を食べる習慣がなかったが、最近では生魚の寿司を好む人も多くなってきている。

 外国でうられている寿司は、文化の違いに応じた「創作料理」になっていることが多い。日本人から見ると、寿司だとは思えないものもたくさんある。例えばアメリカでは、黒くて紙のようなのりが気持ち悪いと嫌がる人が多く、のり巻きはご飯を外側にして巻く「裏巻き」というスタイルで普及している。アボカドやカニカマを裏巻きにしたものや、裏巻きの外側をサーモンやマグロで巻いたものも人気だ。辛いソースに漬けたマグロが入ったものもあれば、魚を使う代わりに、フライなどこってりとしたねたを使った巻き寿司もたる。生ハムとチーズを使った巻き寿司もあるという。日日新しい「創作寿司」が考案され、それぞれの店が創意工夫をこらしている。

 これらの寿司は従来の日本の寿司と大きく異なることから、日本の伝統料理としては認められないという意見もある。だが、日本でもイタリアのパスタをアレンジした、たらこスパゲッティや納豆スパケッティがあるように、食べ物はその国の状況に即して変化するものなのだ。

 もともと寿司の楽しみは、その土地のうまい魚を食べることにある。江戸前ならぬ、アメリカ前、ニュージーランド前の寿司をその土地のスタイルで楽しむのもよいのではないだろうか。そして、そういった新しいスタイルのSUSHIが今、日本へと逆輸入され始めている。

第二十六課 地球温暖化

近年、世界のあちこちで、異常気象が続けている。猛暑や豪雨、洪水、干ばつなどが起こり、台風やハリケーンもその規模と被害が拡大している。おれは地球温暖化が進んでいることと関係があるといわれている。

 ここ100年で地球の気温は約0.6度上昇した。南極や北極、高い山などの氷が溶けて海水の量が増え、海面が上昇している。これまでの100年で10~20cm高くなったが、2100年までには、さらに最低でも9cm、最高で88cm高くなるだろうといわれている。海面が上昇すれば、低い土地は水につかってしまう。すでに多くの島国で被害が出ていて、ほかお国に移住せざるをえない人たちも出ている。

 では、なぜ地球の気温は上がっているだろうか。地球の包む大気には、温室効果ガスが含まれている、このガスが地球を一定の暖かさに保っている。しかし、ガスが増えすぎると、地球の気温は必要以上に上がってしまうことになる。温室効果ガスにはいろいろあるが、いちばん大きな影響を及ぼしているのが二酸化炭素である。二酸化炭素は発電や工場での生産、自動車の排気ガスなどで大量に排出される。つまり、わたしたちの生活が便利になればなるほど二酸化炭素が増えるということだ。一方、砂漠化や森林破壊によって、二酸化炭素を吸収する吸収源が激減していることも、温暖化が急速に進む要因となっている。

 1980年代の終わりごろから、世界中の人々が地球温暖化の問題を認識し始めた。国や企業ではさまざまな取り組みを始めた。省エネタイプのエアコンや冷蔵庫、自動車などが作られ、風力や太陽の光などを利用して二酸化炭素をほとんど出さずに電気を作る研究も進められている。また、各国の政府は植林活動を通じて、二酸化炭素を吸収する森林を増やそうとしている。

 このような努力にもかかわらず、先進国の二酸化炭素排出量はあまり減っていない。それどころか、今まで排出量が少なかった国々でも急激に増えてきている。

 今、世界中の国々が協力して対策を講じなければ、ますます温暖化が進み地球はわたしたち人類が住むことのできない星になりかねない。

第二十七課  桜

真剣!開花予想

今年も桜の開花予報に気をもむ季節がやってきた。

毎年3月に発表される桜の開花予想。気象庁ではスーパーコンピュータを更新し、万全の体制で臨む。

気象庁では96年からコンピュータを使って桜の開花予想をしている。過去の開花日や気温のデータから予測式を作り、その予測式に夏以降から発表日までの気温と、発表日以降の予想気温を当てはめ、開花予想日を導き出す。これまでは、過去50年の開花状況をもとにしていたが、今年は地球温暖化や都市化の影響を考え、現状に近い過去30年間からデータを選んだという。

気象庁 スーパーコンピュータを導入

今年は寒波の影響で開花が遅れる見込みだ。昨年は開花が予想より4日以上遅れ、苦情が相次いだ。果たして、今年はどうなるか。

コラム 日本人と桜

日本人で桜に無関心な人はいるまい。開花宣言だ、二分咲きだと情報が飛び交う。開花すれば、雨が心配だ、風が心配だと、気にするまいと思っても気にぜずにはいられない。桜が咲けば、「花見」が始まる。職場の仲間や友達、家族と花を楽しみながら、酒を飲んだり弁当を食べたりする。花のみならず、桜の木は日本人の生活に密着している。花の塩漬けは、祝いの時の桜茶になり、あんパンの上に乗っている。葉の塩漬けは桜餅を包むのに使う。木材は木工材料から建築用材にまで使われている。樹皮は茶筒や工芸品に利用する。

中国の北京でも天壇公園や玉淵譚公園では、日本から寄贈された桜を見ることができる。ちなみに、北京の桜は東京よりも3週間ほど開花が遅いそうだ。

第二十八課  ロボット

20##年8月、当時の日本の首相がチェコ共和国を訪問した際、ちょっと変わった「親善大使」が同行した。日本の自動車メーカーが開発した二足歩行ロボット「ASIMO」である。「ASIMO」はチェコ首相との晩餐会でチェコ語で、乾杯のあいさつをして、大きな喝采を浴びた。

映画やアニメなどに登場するロボットは、たいてい人間に似た形や動きをしているから、ロボットと聞くと、そういうものを連想しがちだ。しかし現実のロボットは、予想に反して人間とは全く異なる姿をしているものが多い。例えば自動車工場では、ほとんどの作業が産業用ロボットによって行われているが、これは自動制御することのできる、人間の腕に似た機械であることが多い。また日本の研究機関が研究している災害救助用ロボット「IRS蒼竜」は、地震などによって崩れてしまった建物の中に潜って、生存者を探してくるというものだが、これは、蛇のような細長い姿をしている。このような仕事をする場合、ロボットが人間型である必要はないのである。

しかし、それらとは別に、「ASIMO」のように、ロボットに人間と同じような動きをさせるための研究も熱心に行われている。特に日本では、『鉄腕アトム』や『ドラえもん』のような漫画やアニメの影響で、人間型ロボットに対する強い愛着が存在するせいか、ロボットを、人間の敵、あるいは奴隷ではなく、友人と考える傾向が強い。そのようなロボットは、例えば老人介護の分野において活躍することが期待されている。世界一の長寿国である日本では、お年寄りの世話は大きな問題である。話し相手になってくれたり、薬を飲む時間を教えてくれたり、万一主人の様子がおかしい時に病院に連絡してくれたりする介護用ロボットは、日本が少子化時代を迎える中で、大きな助けになるだろう。

チェコを訪ねた「ASIMO」は、「ロボット」という言葉の生みの親であるチェコの作家、カレル·チャペックに菊の花束を捧げた。チャペックの作品『R.U.R.』に登場するロボットは、反乱を起こし、人間を滅ぼしたが、ロボットが人間の友となろうとしている現在の状態を、チャペックはどのように見ているだろうか。

第二十九課  宇宙食

宇宙飛行士は、短い期間にとてもたくさんの仕事をしなけねばならない。だから、彼らは仕事をするうえで、エネルギーの補給は非常に重要だ。しかし、地球上には何でもない「食べる」という行為も、空気と上重力のない宇宙では簡単ではなくなる。

 1960年代初頭、人類は初めて宇宙に出た時代の宇宙食は、チューブに入ったペースト状のものだった。しかしこれは宇宙飛行士たちにはとても評判が悪かった。現在では、技術の進歩におかげで、宇宙でもかなり地上の食べ物に近いものが食べられるようになった。とはいうものの、宇宙に持っていける食べ物には、いくつかの条件がある。まず、宇宙に運べる物の量は限られていることから、できるだけ軽いものが望ましい。次に、においが強くないこと。何しろ宇宙船の中は空気が循環しないので、一度発生したにおいは、地上と違っていつまでも消えないのだ。それから、飛び散らないことも重要な条件だ。例えば、ラーメンを宇宙に持っていこうとした宇宙飛行士もいたが、汁が飛び散るという理由で不合格になった。宇宙では重力がないので、飛び散った汁はどこに行くか分からない。宇宙船の中にびっしり詰まっている精密機器に汁が入って故障でもすれば、任務の遂行や、乗組員の生命にすら危険を及ぼす可能性があるのだ。

 日本人宇宙飛行士の向井千秋さんは、スペースシャトルに搭乗するにあたって「肉じゃが」や「いなり寿司」、「たこ焼き」などの日本食を持っていった。難題とされていたラーメンも、汁の飛び散らない加工をされたうえで宇宙食として認められた。

 また、中国初の宇宙飛行士である楊利偉さんは、宇宙船「神州五号」で「とりにくのカシューナッツ炒め(宮保鶏丁)」「豚肉の四川風唐辛子炒め(魚香肉絲)」といった中華料理を食べた。これらの料理は、すべて伝統的な中華料理で、「宇宙食メニュー」として中国国内のレストウランでも人気を博した。

 生命維持のための食事から、楽しむための食事へ。宇宙食は宇宙開発の発展に伴ってこれからも進化し続けていくことだろう。

第三十課 地震

 1995年1月17日、阪神?淡路大震災が発生し、大きな被害が出た。死者は6,434人、負傷者はおよそ4万人。50万棟を越える家やビルが倒れ、高速道路が折れ、地割れがおき、大火災が発生した。また、20##年の年末には、スマトラ島沖で発生した大地震により、インドネシアをはじめとするインド洋沿岸の国々に津波が押し寄せ、各地に甚大な被害をもたらしている。

 地震はどのようにして起こるのだろうか。地球の陸地や海底はすべてプレートと呼ばれる板のような岩盤に載っている。プレートは年間数センチのスピードでゆっくりと動いており、別にプレートの下に潜り込んだり、プレート同士で押し合ったりしている。圧力が長い年月をかけてたまっていくと、ある時、圧力に耐えきれなくなった岩盤が一気に割れたりずれたりして、地震が起こると考えられている。さらにプレートが動くにしたがって、その圧力が陸地に伝わると、地層や地形にゆがみが生じる。そのゆがみが元に戻そうとして地震が起こることもある。

 日本の国土は全世界の陸地の約0.3%にすぎないが、全世界で起こる地震の10%が日本とその周辺で発生している。原因は日本が4枚のプレートの境界に位置していることにほかならない。

 現在の科学技術では、大きな地震に限ったとしても、地震の予知は難しいと言われているが、高精度の観測網を整備し、長期間にわたってデータを観測することで地震の予知ができる可能性もある。地震と津波への対策はアジア地域共通の課題である。アジアに国々は今、地震についての技術交流や共同研究を始めている。

第三十一課 クモの糸

 芥川龍之介の『蜘蛛の糸』は、日本人ならたいていの人が知っている有名な小説だ。この小説の中で、地獄で苦しむ罪人カンダタは、はるか高い極楽から下がってきた1本のクモの糸を上っていくが、欲を出したために糸は切れてしまい、再び地獄に落ちてしまう。ここでクモの糸は、細く切れやすいものの象徴として使われている。

 しかし、クモの糸というのは決して弱いものではない。弱いどころか、我々が普通思っているよりもずっと丈夫なものである。もちろん、人間を支えるとなると1本の糸では無理だが、実際にクモの糸で人間の体を支えることに成功した例がある。ある研究者が、約19万本のコガネグモの糸を束ねて、長さ約10cm、太さ2.6mmのロープを作り、それを使って直径約8cmの輪を作った。そして、この輪で木にハンモックをつり下げ、自ら乗ってみた。すると、ハンモックは落ちることもなく、ぶらんこのように揺らしても、糸は少し伸びただけだったという。それもそのはず、実は、同じ太さで比べれば、クモの糸は鉄の数倍も強く、ナイロンと同程度、あるいはそれ以上の伸縮性を持っているのだ。

 このようなクモの糸の優れた性質は昔からよく知られており、世界各地でクモの糸を利用するさまざまな試みがなされてきた。しかし、成功した例は皆無だ。その原因は、クモの糸を大量に生産することの難しさにある。肉食のクモの餌を確保するのは大変だし、縄張り意識の強いクモは、共食いすることもある。

 クモを利用して大量に糸を生産するのが難しいなら、クモの糸と同じ構造を持つ糸を人工的に作ればいい。実際、世界各国の大学や企業が「クモの糸」を人工的に作る方法を研究している。もちろんこれも簡単ではないのだが、少しずつ実用化に近づきつつある。もしこのような研究が成功するとすれば、人類は、鉄よりも強く、しかもナイロンと違って分解されやすいので、環境への影響も少ない、夢のような繊維を手に入れることになる。

第三十二課 トキ

トキは国際的に絶滅の危機に直面している鳥である。もともとはロシア東部、中国北部から中部、朝鮮半島、日本など東アジア一帯に広く分布していた。しかし、乱獲と環境の悪化によって各地で減少し、現在では、絶滅するおそれのある動物として絶滅危惧種に登録されている。

現在、世界中で野生のトキが生息しているのは中国のみで、陝西省西安市の南に位地する洋県にトキの生息地がある。中国でも一時期トキは絶滅したと考えられていたが、1981年に7羽が発見された。その後、営巣地の監視·保護、人工繁殖などに取り組み、現在では1,000羽以上が確認されるに至っている。洋県の「陝西トキ救護飼養センター」では、自然と同じような環境でトキを飼育するかたわら、パンフレットやビデオを使って小学生向けのキャンペーンを行うなど、国民に対する普及啓発活動を行っている。

こうした中国のトキ保護活動に対して日本が支援をしていることはあまり知られていない。「中国トキ保護支援基金」を募ったり、「中国トキ保護観察団」を派遣し、野生のトキの観察や保護施設や地元小学校を訪問したりして、交流を深めている。

一方、日本のトキは、明治時代以降急激に数が減った。1981年には、その時点で野生に残っていた最後の5羽を、新潟県佐渡島の「佐渡トキ保護センター」に保護し、人工繁殖を試みた。しかし、懸命の努力にもかかわらず、人工繁殖は失敗に終わり、20##年をもって、日本のトキは絶滅した。

そのような状況のもとで、日本に救いの手を差し伸べたのが中国だった。1998年、中国の江沢民主席が来日に際して、2羽のトキの贈呈を約束した。翌1999年、雄の「友友」と雌の「洋洋」が日本に到着し、「佐渡トキ保護センター」で飼育されることになった。それ以来、この2羽をもとにトキの人工繁殖が行われ、20##年現在、107羽が飼育されるに至っている。繁殖は次々と成功し、自然に戻す計画も進んでいる。

中国の協力のおかげで、日本のトキの再生が実現した。今後は、日本が環境を整備し、自然の中でトキの飛ぶ姿が見られるよう、努力していかなければならない。

学生作文

题目:泣きながらお金を数える

   ——私のボランティアの体験

 20##年は普通ではない年であり,さまざまな事が発生した。5月12日、四川省に大地震が起こった。多くの尊い命を奪った四川大地震は発生から一年に経った今でもわれわれの記憶からなかなか消えない。私は重慶市の人であるが、地震の時天津にいた。その時、私はとても心あ配した、なぜなら、家族、友達、親友達が全部重慶と四川にいるからである。ニュースで四川の惨状をみて、私の心が痛くなった。そして地震のために、何を協力したくて、私は天津の赤十字に申請してボランティアになった。

 朝早く赤十字に到着した、でもそちらにはたくさんの人が集まっていた。つまり、大地震のために、赤十時に集まってきた。子供、高齢者、学生、先生、農民、などみんなは四川人民のために愛を捧げる。私の仕事は寄付金を点検する。ある80歳ほどのお爺さんは大きな声で「四川人民は私たちの兄弟です! 一地方は難しいことにあって、八方のところは支援を差し上げる。今兄弟が災難に遭って、私達はいっしょに難関をくぐり抜けるべきです。」と話しながら、かばんから金を出して、「この三万元は私の全部の貯金、四川の人たちへのわずかな気持ちです。また私は四川の人達は必ず難関をすごせると信じてます!」と言った。私がそのお爺さんのわだらけの顔を見つめながら、その強い声を聞いて、知らず知らずのうちに、目から涙が落ちこぼれた。これは感情、中華人民の兄弟らしく感情,何より強い感情である。朝8時半から、午後5時まで、私がお金を点検した、寄付に来た人が引きも切らない、百元,五十元、十元、一元、一枚一枚の人民幣は四川同胞への深い愛を代表した。一日だけで私はこの普通また偉大な人達に感動させられていた。私はほとんど涙を流しながらお金を数えて数えているお金は一つ一つの真っ赤の心のに変わった。目の前にある子の感動的な光景が脳裏に焼きつけられた。この一日、一生忘れられない。

 今顧みると、四川大地震後の寄付活動は空前のレベルに達した。市場経済がかなり進んだ今、中国社会におけるモラルの低下、拝金主義の蔓延、人間不信などの現象が度々指摘されている中、中国の人々は、四川大地震を「国難」として受け止め、寄付活動を通じて心を一つにしたのではないだろうか。政府の呼びかけがなかったにもかかわらず、海内外の中国人を含めてほとんどの国民が自主的に参加した。地震を契機に、災害時の扶助精神や奉仕活動が一般生活にも広がっていくのではないだろうか。

 これも中華民族の凝集力である。私達がオリンピックの聖火リレーする時、華人が熱情のために世界各国の反感を買った。しかし今度の大地震、中華民族の「は一地方は災難にあって、八方のところは支援を差し上げる。」は全世界の認可を得た。これは世界の文化になるらしい、これは中華文化の魅力である、中華民族の凝集力である。

 四川大地震を通じて中国は多数の尊い命、財産、公共施設などを失った一方、中国社会における様々な進歩が確認されたことは、大きな得でもある。100年前に中国近代革命の先賢は、次の預言を言い残した。「吾民族之未来、不在白首中国之苟延残喘、而在青春中国之投胎復活」(わが民族の未来は年配者の延命でなく、若者の生まれ変わり方にかかわるだろう)。

  災難は私達に苦痛をもたらすと同時に私達に損害を持ってくる。しかし災難は絶えなくて私達に新しい財産に持ってくる、これは風雨のあとでの虹である。

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