聊斋志异中婴宁探讨

时间:2024.5.13

聊斋志异中婴宁探讨

摘 要:婴宁是《聊斋志异》中的精彩篇章《婴宁》的主人公,是作者心目中理想女性的代表。她天真烂漫,爽朗喜笑,憨态可掬,是那个时代不太可能出现的新人。这一人物真切地寄寓了蒲松龄的生命智慧与痴情诗意,表达了作者对理想生存状态的体悟和向往,蕴涵着深刻的社会意义。

在《聊斋志异》中,蒲松龄塑造了一系列美好的女性形象,有美丽刚强、以死殉情的连城;勤俭洒脱、秀外慧中的辛十四娘;瘦怯凝寒、慧黠可爱的连琐;美丽聪明、机智勇敢的庚娘;天真纯洁、笑容可掬的婴宁;风姿绰约、严肃自重的芸娘;人淡如菊、潇洒通达的黄英等等①。她们或热情善良、笃于友情,或有胆有识、有勇有谋,给读者留下了深刻的印象。在这些女性形象中,最为出色的是婴宁。她是美的象征,是作者心中理想女性的代表。

一、婴宁的美首先表现在外貌上

细读文章,我们会发现作者对她的外貌并没有过多具体的描绘,而是独具匠心地用了“拈梅花一枝,容华绝代,笑容可掬”十三个字进行艺术化的勾勒。精练的描写中婴宁带给人的是一种扑面而来的自然美的气息,表现出的是一种超凡脱俗的美。在作者的笔下,婴宁堪称“容华绝代”,是绝代佳人,这是一种难以用语言来表达的美丽,而她的美又是独特而自然:鲜花相伴,笑容可掬。鲜花是大自然的美的象征,笑是发自内心毫无矫饰的情感的自然流露,温馨的笑容、漂亮的花朵使得这一个大自然的宁馨儿格外风姿绰约、艳丽动人,充满了青春活力。 在作者的笔下,婴宁的美是源自自然。纯净得未带任何世俗教化斧斫的痕迹,新鲜如沾满露珠的鲜花。在大自然宁静、优美的环境中婴宁这朵娇美的鲜花自然地生长、自然地开放,她如山的泉眼,灵动而和谐;如水的波痕纯净而优美,作者将婴宁安置在一个远离俗世、完全自然的境界中,让婴宁的天性在这样的环境中自然地绽放。她是大自然孕育的一朵奇葩,是人性中未经雕饰的纯粹美的结晶,这样的美是世俗的土壤永远也不可能诞化出的。同时,这种美又是脆弱的,它经不起世俗的风雨的击打,在世俗的土壤中,这朵美丽的自然之花只会渐渐枯萎。

二、婴宁的美与她成长的环境是密不可分的

典型的性格是在典型环境中形成的,所谓的环境就是那种形成人物性格,“并促使她们行动”的客观条件②。环境包括人物所处的自然环境和社会环境。婴宁性格的形成既有自然环境因素又有社会环境因素。

先从自然环境来说,婴宁这种纯净自然的性格是在一种纯粹自然的环境中形成的。婴宁这个可爱的少女从小就生活在与尘世隔绝的山野中,那里“乱山合沓,空翠爽肌,寂无人行,止有鸟道。遥望谷底丛花乱树中,隐隐有小里落”。追随王子服的行踪,我们进入了婴宁的居住环境,只“见门内白石砌路,夹道红花,

片片堕阶上;曲折而西,又启一关,豆棚花架满庭中。肃客入舍,粉壁光明如镜,窗外海棠,枝朵探入室中。裀籍几榻,罔不洁泽”。作者从婴宁居住的大的环境一直写到她家的院落及房间里的摆设,这些环境描写着意在凸现映衬婴宁美好的性格。你看“那窗外海棠枝朵,庭中豆棚花架;园内修竹丝柳,红桃白杏,夹道红花片片,细草铺毡”,无不体现了一种自然气息,她的房间也是窗明几净,一尘不染,这儿没有任何世俗繁琐的人工雕饰,不像世俗房屋的富丽堂皇,也没有世俗鲜明扎眼的颜色,它显然是一个“世外桃源”,一切都是自然的,有这样的环境才能孕育出带有大自然气息的精灵。婴宁就在这个处处是烂漫的山花的世界里长大。从古到今,花从来都是一种美好、高洁的象征,从她出场“拈梅花一枝”到最后,作者都把她置于花的海洋,在花的世界中所养成的爱花性情,如花的品格,这就揭示出了女主人公之所以具有憨直无邪、活泼开朗的天性的原因,这显然跟那个未经世俗熏染过的特定典型环境有着不可分的关系。

自然环境在人物性格的形成中起着重要作用,同样人物所处的社会环境的影响也不可忽视。在《婴宁》中,婴宁未入世前与她最亲密的是鬼母和婢女小荣,社会关系单纯而朴素。在未与王子服相遇之前,她是在鬼母的教导和与小荣的嬉戏中成长的。先说鬼母。婴宁本是孤女,由鬼母抚养长大,鬼母担负着哺育和教导婴宁的责任。虽然鬼母在作品中出场不多,但她对婴宁的教育方式却值得注意。当王子服忍不住相思之苦,寻至深山,与鬼母道明来意,相互认亲后,鬼母这样说到婴宁“渠母改醮,遗我鞠养,颇亦不钝;但少教训,嬉不知愁”,后又瞋目批评婴宁说“有客在,咤咤叱叱是何景象”,从这些话语我们完全可以想象出当时鬼母的神态、动作,她对婴宁的教育是自然、随意而富有人性化的,面对婴宁的“错”也只是轻轻地责备,这里没有世俗封建礼教“闺训”中要求妇女“目不斜视,笑不露齿”、“言辞庄重,举止消停”、“凡笑语莫高声”的严苛,而充满着人性化的关爱与宽容。鬼母的这些做法同婴宁这个人物一样显得与世俗格格不入,这是因为她们都是源于自然,不属于那个秽浊的现实社会。

除了鬼母之外,与婴宁朝夕相伴的就是她的婢女小荣了,这个人物因为言语少,出场次数不多往往被很多人所忽略。从某种意义上说,婢女小荣是婴宁天真、自然性格的映衬和补充。在婴宁与王子服的恋爱过程中,小荣起着积极作用。当婴宁得知王子服正坐在她家厅堂上等候自己时,婴宁先在“户外嗤嗤笑不已”,是小荣将她“推之以入”,这才有了和王子服的第一次正式见面。当鬼母说到王生与婴宁是“极相匹敌”的一对时,小荣便趴在婴宁耳边说了句:“目灼灼,贼腔未改”,这一句话使得婴宁大笑不止,表明婴宁对小荣的话是认可的,也从另一侧面表现了小荣这一人物率直、天真、机敏的性格,这与婴宁大胆而又含蓄的个性交相辉映,更突出了婴宁性格中真的一面。她和婴宁就像一对“孪生姐妹”。婢女小荣的衬托与引导,使得婴宁更为自然纯朴,内涵丰富。

三、婴宁的美突出表现在美好、自然、纯真的性格上

如上所言,那种独特的自然环境和社会环境,造就了婴宁个性化的性格。她是蒲松龄尽情赞美的“这一个”。她与封建时代的一般少女截然不同,她天真烂漫,

爱花成癖,憨态可掬。作者塑造这一人物形象时,着重渲染了她的笑,她的笑不仅在《聊斋志异》中,即使在整个中国古典文学中也是最为动人的。

婴宁本是一个狐狸生、鬼母养育的可爱少女,她从小就生活在与尘世隔绝的美丽山野中,那里没有世俗风气的侵蚀,无忧无虑、无拘无束。因此,笑将她的思想纯净表现得淋漓尽致,笑将她那一种与生俱来的“真”抒发得恰到好处。哪里有婴宁,哪里就荡漾着笑声,“然笑处嫣然,狂而不损其娟,人皆乐之”③。在小说中作者描写了她有“笑语自去”,“含笑而入”,“复笑不可仰视”,“狂笑欲堕”等等,这里面有纵情大笑,有狂笑、浓笑,有微笑,对婴宁这一个天生笃笑的人来说,用不同的笑来表达内心的感受,无疑是最具真感情的流露。在与王子服刚开始交往的过程中,婴宁的语言是坦率而不矫情,笑是自然而纯真,情感是朴素而美好。当王子服对她注目不移时,她就说了句:“个儿郎目灼灼似贼”,然后“遗花地上,笑语自去”了。这就是自然、独特、美丽的婴宁。此时的她,还未受世俗环境的侵染,因而表现出天然、纯洁的天性,她不知道世间还有什么男女大防,对王子服言语坦率真挚,将自己的感情完全表露出来,而且表露的是那么的自然而毫无做作之感。她的笑更是与众不同,世俗女子讲究笑不露齿,将喜怒哀乐完全掩饰起来,而婴宁则时时笑,笑得自然而美丽,丝毫不掩饰自己的感情。再如她随王子服至王家后,王生的表兄弟吴生想见她。开始她在房里偷笑,不愿出见。在王母的再三催促下,她才咬着嘴唇勉强而出,面向墙壁停了一会,才转身向吴生施礼,礼还没有来得及施完,她就立即翻身进入内室。接着就是放声大笑。这里,从人间外带来的真情,笑在其外,却动在其内。她对人间这一系列的应酬交接、清规戒律感到很新奇,而原有的天真乐观、憨直无邪的性格也在笑声中得到鲜明的表现。婴宁就是这么一个将喜怒形于色的人,她是一个真人,一个毫无掩饰的自然真率的人。作者塑造婴宁这一人物形象的真正意图是“在努力探求一种境界,一种生活在封建礼教禁锢下的人应然状态”④。二、对理想生存状态的思索

“婴宁”之名,取自庄子所说:“其为物,无不将也,无不迎也;无不毁也,无不成也,其名撄宁。撄宁也者,撄而后宁者也。”⑤作者极力地赞美婴宁的天真,正寄寓着对老庄人生哲学中所崇尚的复归自然天性的向往⑥。

在《婴宁》篇里作者为其主人公设置了两个典型环境。婴宁未入世俗前是生活在一种纯自然的环境中,包括她的居住环境和经常与她接触的人,这种环境构成了她“嬉不知愁、天生爱笑”的独特个性。作者在小说中两次写到她手拿花把玩,先是“拈梅花一枝”,后来又“执杏花一朵”,而且她家的园子里也到处是花。到了王子服家后,更是“爱花成癖,物色遍戚党;窃典金钗,购佳种,数月,阶砌藩溷,无非花者”。看来,婴宁生活中最大的乐趣似乎就是花,作者让她一生与花相伴,不是闲笔,我们都知道,花是大自然的象征,是美的象征,作者让婴宁以花为伴,其实也在隐喻,婴宁就是一朵美丽的自然之花,一朵未受尘世浸染的自由盛开的花朵,她不仅如花般美丽,也如花般纯洁。她是作者理想中的女性形象,她的美是一种纯天然的、不加雕饰的美,这种美的存在正是作者所追求的至高境界,一种纯自然、纯真的人的应该存在状态。

作者为了表明自己这种对理想的体悟和向往,极力地批判社会的黑暗,他让婴宁这颗天真纯净的心灵来到人间,这也就是作者描写的另一个典型环境。作者将她放在世俗社会中,在这里人与人之间充满了尔虞我诈,封建礼教对人的压抑使人的天性已被扭曲。从此,真诚与虚伪,善良与邪恶,勇敢与怯懦便展开了一系列的矛盾冲突。伴随着开怀的笑声,王子服把婴宁带回了自己家中。从此,王子服的家里充满了婴宁的吃吃笑语,这种笑声很富有青春魅力,笑声所到之处皆合欢忘忧,“然而这只是从那个没有人间污秽的环境中移植来的笑,在一段不太长的时间里所起的作用罢了。黑暗的现实,邪恶的势力和世俗顽固的偏见,交织成一股强大的力量,力图改造它,扭曲它”⑦。就这样一个嬉不知愁的天真女子,入世后受到了摧残,她的爱笑,造成了对西邻浪荡报复性的恶作剧,被其父诉至公堂时,才严容正色,始不复笑。

我们注意到,婴宁从最初时的爱笑到最后的“不复笑”,这一转变正好是她从原来生活的自然状态转入世俗社会后所形成的结果,婴宁的“不复笑”就是对这种世俗环境的无言抵制和反抗,世俗社会压抑了她的自然人性,抹煞了她作为一个自然之子纯真、自然的笑。“笑”的丧失其实就是她自然天性得不到伸展的结果,这种纯真的“笑”的丧失,使人们为美好的事物被毁灭而伤感和痛惜。

“婴宁”之名取自于《庄子》,庄子所谓的“撄宁”是指一种得失成败都不动心的精神境界,蒲松龄在一首诗里这样写道“闭户尘嚣息,襟怀自不撄”,用的就是这个意思。婴宁是蒲松龄理想中的女性,她天真烂漫,全身透着自然气息,想说就说,想笑就笑,生于自然长于自然。这样一个人物,应是不受任何礼俗的约束。然而当她进入世俗以后,由于封建礼教的压抑和摧残,那源自心底象征自由、自然的笑声最终无法保全。笑声的消失其实在一定程度上反映了作者理想人生的幻灭,造成这种毁灭的,恰好就是当时的社会环境和封建礼教,因此,要领会作者真正的创作意图,应从作者的生平遭遇出发。

蒲松龄一生都在考场中摸爬滚打。19岁那年初应童子试,便以县、府、道三试第一进学受到当时做山东学政的文学家施闰章的奖誉,“名藉藉诸生间”,这一次的成功使蒲松龄对自己以后的人生产生了无限的遐想和期望,然而此后多次考试都名落孙山,科举的失意严重挫伤了他的自尊心和自信心。“社会缺乏公正廉明,他的理想难以实现,现实与理想之间的差距使他对人生,对世界充满了悲愤,在现实无法改变的情况下,他只能通过文字释放自己。”⑧《婴宁》篇从头到尾其实都是在写人,作者只是给它罩上一件狐的外衣,作者创造了一个理想状态下的婴宁,她集中了女子所有美好的品性。作者又深刻地意识到,这类人是无法在那样的社会中存在的,她们只能生活在虚幻的、“世外桃源”式的环境中,永远只能像“水中月,镜中花”般漂浮在人们的想象中。

我们由《婴宁》篇可以看出:婴宁是当时社会女性形象的代表;更可以观照蒲松龄的理想人生状态,是一种不受任何约束、完全自然的人的存在状态,这种生存状态是作者渴望的,同时也是当时的社会所无法容忍、竭力要扼杀的。列宁说过“文学表现什么,就是社会上在呼唤什么”。处在封建专制集权压抑下的人们

的心灵已经被扭曲,他们天性在这种压制中不断生出许多腐朽丑恶的东西,一个有社会责任感的作家是不会容忍自己对这种丑恶保持沉默的,这也正是蒲松龄写《婴宁》篇的用意所在,即对理想生存状态下美好人性回归的呼唤,同时反衬现实世界对人性的压抑和摧残。不仅《婴宁》篇如此,整个《聊斋志异》其实体现的就是蒲松龄对人的生存状态的思索和对理想生存状态的追求。

① 马瑞芳. 蒲松龄评传[M]. 北京:人民文学出版社,1986.

② 童庆炳. 文学理论教程[M]. 北京:高等教育出版社,1999.

③ 蒲松龄. 聊斋志异[M]. 北京:中国盲文出版社,2000.

④ 冷成金. 中国文学的历史与审美[M]. 北京:中国人民大学出版社,2004. ⑤ 庄子. 庄子[M]. 哈尔滨:黑龙江人民出版社,2004.

⑥ 袁行霈. 中国文学史(第四卷)[M]. 北京:高等教育出版社,1999. ⑦ 薄子涛. 聊斋志异艺术谈[M]. 北京:中国文联出版公司,1987.

⑧ 张德瑞. 论《聊斋志异》的悲剧美[J]. 蒲松龄研究,20xx年,(第3期).


第二篇:聊斋志异之婴宁 日文小说


嬰寧

蒲松齢

王子服(おうしふく)は(きょ)の羅店(らてん)の人であった。早くから父親を失っていたが、はなはだ聡明で十四で学校に入った。母親がひどく可愛がって、ふだんには郊外へ遊びにゆくようなこともさせなかった。蕭(しょう)という姓の家から女(むすめ)をもらって結婚させることにしてあったが、まだ嫁入って来ないうちに没(な)くなったので、代りに細君となるべき女を探していたが、まだ纏(まと)まっていなかった。 そのうちに上元(じょうげん)の節となった。母方の従兄弟(いとこ)に呉(ご)という者があって、それが迎いに来たので一緒に遊びに出て、村はずれまでいった時、呉の家の僕(げなん)が呉を呼びに来て伴(つ)れていった。王は野に出て遊んでいる女の多いのを見て、興にまかせて独りで遊び歩いた。

一人の女(むすめ)が婢(じょちゅう)を伴(つ)れて、枝に着いた梅の花をいじりながら歩いていた。それは珍らしい佳(い)い容色(きりょう)で、その笑うさまは手に掬(すく)ってとりたいほどであった。王はじっと見詰めて、相手から厭(いや)がられるということも忘れていた。女は二足三足ゆき過ぎてから婢を振りかえって、

「この人の眼は、ぎょろぎょろしてて、盗賊(どろぼう)みたいね。」

といって、花を地べたに打っちゃり、笑いながらいってしまった。王はその花を拾ったが悲しくて泣きたいような気になって立っていた。そして魂のぬけた人のようになって怏怏(おうおう)として帰ったが、家へ帰ると花を枕の底にしまって、うつぶしになって寝たきりものもいわなければ食事もしなかった。

母親は心配して祈祷(きとう)したりまじないをしたりしたが、王の容態はますます悪くなるばかりで、体もげっそり瘠(や)せてしまった。医師が診察して薬を飲まして病気を外に発散させると、ぼんやりとして物に迷ったようになった。母親はその理由(わけ)を聞こうと思って、

「お前、どうしたの。お母さんには遠慮がいらないから、いってごらんよ。お前の良いようにしてあげるから。」

といって優しく訊(き)いても黙って返事をしなかった。そこへ呉が遊びに来た。母親は呉に悴(せがれ)の秘密をそっと聞いてくれと頼んだ。そこで呉は王の室へ入っていった。王は呉が寝台の前に来ると涙を流した。呉は寝台に寄り添うて慰めながら、 「君は何か苦しいことがあるようだが、僕にだけいってくれたまえ。力になるよ。」 といって訊いた。王はそこで、

「君と散歩に出た日にね。」

というようなことを前おきにして、精(くわ)しく事実を話して、

「どうか心配してくれたまえ。」

といった。呉は笑って、

「君も馬鹿だなあ、そんなことはなんでもないじゃないか。僕が代って探してみよう。野を歩いている女だから、きっと家柄の女じゃないよ。もし、まだ許嫁(いいなづけ)がなかったなら、なんでもないし、許嫁があるにしても、たくさん賄賂をつかえば、はかりごとは遂(と)げられるよ。ま?それよりか病気をなおしたまえ、この事は僕がきっと良いようにして見せるから。」

といった。王はこれを聞くと口を開けて笑った。

呉はそこで王の室を出て母親に知らせた。母親は呉と相談して女の居所を探したが、名

もわからなければ家もわからないので、その年恰好の容色の佳い女のいそうな家を聞きあわして、それからそれと索(さが)してもどうしても解らなかった。母親はそれを心配したがどうすることもできなかった。

そして王の方は、呉が帰ってから顔色が晴ばれとして来て、食事もやっとできるようになった。

二、三日して呉が再び来た。王は待ちかねていたのですぐ問うた。

「君、あの事はどうだったかね。」

呉はほんとうの事がいえないので、でたらめをいった。

「よかったよ。僕はまただれかと思ったら、僕の姑(おば)の女(むすめ)さ、すなわち君の従妹じゃないか。ちょうどもらい手を探していたところだよ。身内で結婚する嫌いはあるが、わけをいえば纏(まと)まらないことはないよ。」

王は喜びを顔にあらわして訊いた。

「家はどこだろう。」

呉はまた口から出まかせにいった。

「西南の山の中だよ。ここから三十里あまりだ。」

王はまたそこで呉に幾度も幾度も頼んだ。

「ほんとに頼むよ。いいかね。」

「いいとも。僕が引き受けた。」

呉はそういって帰っていった。王はそれから食事が次第に多くなって、日に日に癒(なお)っていった。そして思いだしては枕の底を探して彼(か)の梅の花を出した。花は萎(しお)れていたけれどもまだ散っていなかった。王は彼の女のことを考えながら、それが彼の女でもあるようにその花をいじった。

王は呉の返事を待っていたが呉が来ないので、ふしんに思って手紙を出した。呉は用事にかこつけて来なかった。王は怒って悶えていた。母親はまた病気になられては大変だと思ったので、急に他から嫁をもらうことにして、それをちょっと相談したが、王は首を振って振りむかなかった。そして、ただ毎日呉の来るのを待っていたが、どうしても呉が来ないので、王はたちまち怒って呉を怨んだが、ふと思いなおして、三十里はたいした道でもない、他人に頼む必要がないといって、彼の梅の花を袖に入れて、気を張って出かけていった。家の人はそれを知らなかった。

王は独り自分の影を路伴(みちづ)れにしていった。そして道を聞くこともできないので、ただ南の方の山を望んでいった。ほぼ三十里あまりもゆくと、山が重なりあって、山の気が爽(さわ)やかに肌に迫り、寂(ひっそり)として人の影もなく、ただ鳥のあさり歩く道があるばかりであった。遥かに谷の下の方を見ると、花が咲き乱れて樹の茂った所に、僅(わず)かな人家がちらちらと見えていた。

王は山をおりてその村へといった。わずかしかない人家は皆茅葺(かやぶき)であったが、しかし皆風流な構えであった。北向きになった一軒の家があった。門の前は一めんに柳が植(う)わり、牆(かき)の内には桃や杏(あんず)の花が盛りで、それに長い竹をあしらってあったが、野の鳥はその中へ来て格傑(かっけつ)と鳴いていた。

王はどこかの園亭(にわ)だろうと思ったので、勝手には入らなかった。振りむくとその家の向いに、大きな滑らかな石があった。王はそれに腰をかけて休んでいた。と、牆の内に女がいて、声を長くひっぱって、

「小栄(しょうえい)。」

と呼ぶのが聞えた。それはなまめかしい細い声であった。王はそのままその声を聞いていると、一人の女が庭を東から西の方へゆきながら、杏の花の小枝を執(と)って、首を

俯向(うつむ)けて髪にさそうとして、ひょいと頭を挙(あ)げた拍子(ひょうし)に王と顔を見あわすと、もうそれをささずににっと笑って花をいじりながら入っていった。それは上元の日に遭った彼の女であった。王はひどく喜んで、すぐ入っていきたいと思ったが、姨(おば)の名も知らなければ往復したこともないので、何といって入っていっていいかその口実(こうじつ)がみつからなかった。そうかといって門内に訊(き)くような人もいないので訊くこともできなかった。王は仕方なしに朝から夕方まで、石に腰をかけたりその辺を歩いたりして、その家に入ってゆく手がかりを探していたので、ひもじいことも忘れていた。その時彼の女が時どき半面をあらわして窺(のぞ)きに来て王がそこにいつもいるのを不審がるようであった。夕方になって一人の老婆が杖にすがって出て来て王にいった。

「どこの若旦那だね。朝から来ていなさるそうだが、何をしておりなさる。ひもじいことはないかね。」

王は急いで起(た)ってお辞儀して、

「私は親類を見舞おうと思って、来ているのです。」

といったが、老婆は耳が遠いので聞えなかった。そこで王はまた大きな声でいった。それはやっと聞こえたと見えて、

「親類は何という苗字だね。」

といったが、王は苗字を知らないので返事ができなかった。老婆は笑っていった。 「苗字を知らずに、どうして親類が見舞われるのだよ。お前さんは書(ほん)ばかり読んでいる人だね。私の家へお出でよ、御飯でもあげよう。汚い寝台もあるから、明日の朝帰って、苗字を聞いてまた来るがいいよ。」

王はその時空腹を感じて物を喫(く)いたかった。また彼の美しい女の傍(そば)へいくこともできる。王は大喜びで老婆について入っていった。

門の内は白い石を石だたみにして、紅(あか)い花がその道をさしはさみ、それが入口の階段にちらちらと散っていた。西へ折れ曲ってまた一つの門を潜(くぐ)ると、豆の棚(たな)と花の架(たな)とが庭一ぱいになっていた。老婆は王を案内して家の内へ入った。白く塗った壁が鏡のようにてらてらと光って、窓の外には花の咲き満ちた海棠(かいどう)の枝が垂れていて、それが室の内へもすこしばかり入っていた。室の内は敷物、几(つくえ)、寝台にいたるまで、皆清らかで沢(つや)のある物ばかりであった。 王が腰をおろすと、窓の外へだれかが来て窺くのがちらちら見える。老婆が、 「小栄、早く御飯をこしらえるのだよ。」

というと、外から女がかんだかい声で、

「へい。」

と返辞をした。そこで二人の坐が定まったので、王が精しく自分の家柄を話した。すると老婆が、

「お前さんの母方のお祖父(じい)さんは、呉という姓じゃなかったかね。」 といった。そこで王が、

「そうです。」

というと、老婆は驚いた。

「では、お前さんは、私の甥(おい)だ。お母さんは私の妹だ。しょっちゅう貧乏しているうえに、男手がないから、ついつい往来もしなかったが、甥がこんなに大きくなってるのに、まだ知らなかったとは、どうしたことかなあ。」

王はいった。

「私がここへ来たのは、姨(おば)さんを見舞いに来たのですよ。ついあわてたものです

から、苗字を忘れたのですよ。」

老婆はいった。

「私の苗字は秦(しん)だよ。ついぞ子供はなかったが、妾(めかけ)にできた小さな子供があって、その母親が他へ嫁にいったものだから、私が育てているが、それほど馬鹿でないよ。だが躾(しつけ)がたりないでね、気楽で悲しいというようなことは知らないよ。今、すぐここへ来させて逢わせるがね。」

間もなく婢が飯を持って来た。肥った鶏の雛などをつけてあった。老婆は王に、 「何もないがおあがりよ。」

といって勧めた。王がいうままに膳について食べてしまうと、婢が来て跡始末をした。老婆はその婢にいった。

「寧子を呼んでお出で。」

「はい。」

婢が出ていってからやや暫くして、戸外(そと)でひそかに笑う声がした。すると老婆は、

「嬰寧(えいねい)、お前の姨(おば)さんの家の兄さんがここにいるよ。」

といった。戸外では一層笑いだした。それは婢が女を伴(つ)れにいっているところであった。婢は女を推(お)し入れるようにして伴れて来た。女は口に袖を当ててその笑いを遏(と)めようとしていたが遏まらなかった。老婆はちょと睨(にら)んで、 「お客さんがあるじゃないかね。これ、これ、それはなんということだよ。」

といった。女はやっと笑いをこらえて立った。王はそれにお辞儀をした。老婆は女に向っていった。

「これは王さんといって、お前の姨さんの子供だよ。一家の人も知らずにいて、人さまを笑うということがありますか。」

王は老婆に、

「この方はおいくつです。」

と女の年を問うた。老婆にはそれが解らなかったので、王はまた繰りかえした。すると女がまた笑いだして顔をあげることができなかった。老婆は王に向っていった。

「私の躾がたりないといったのは、それだよ。年はもう十六だのに、まるで、嬰児(あかんぼ)のようだよ。」

王はいった。

「私より一つ妹ですね。」

老婆はいった。

「おお、お前さんは、もう十七か。お歳になるのだね。」

王はうなずいた。

「そうですよ。」

老婆が訊いた。

「お前さんのお嫁さんは、何という人だね。」

「まだありませんよ。」

「お前さんのような才貌(きりょう)で、なぜ十七になるまでお嫁さんをもらわないね。嬰寧もまだ約束もないし、まことに良い似合だが、惜しいことには身内という、かかわりがあるね。」

王は何もいわずに嬰寧をじっと見ていて、他へ眼をやる暇がなかった。婢は女に向って小声で囁(ささや)いた。

「眼がきょろきょろしていますから、まだ盗賊(どろぼう)がやまないでしょう。」

女はまた笑いながら娘を見かえって、

「花桃が咲いたか咲かないか、見て来ようよ。」

といって、急いで起ち、袖を口に当てながら、刻み足で歩いていった。そして門の外へ出たかと思うと崩れるように大声を出して笑った。老婆も体を起して、婢を呼んで王のために夜具の仕度をさしながら王にいった。

「お前さん、ここへ来るのは容易でないから、来たからにゃ、三日や五日は逗留(とうりゅう)していくがいいよ、ゆっくりお前さんを送ってあげるから。もし欝陶(うっとう)しいのが嫌でなけりゃ、家の後には庭がある。気ばらしをするがいいよ。書物もあるから読むがいい。」

翌日になって王は家の後へ歩いていった。果して半畝位の庭があって、細かな草が毛氈(もうせん)を敷いたように生え、そこの逕(こみち)には楊柳(やなぎ)の花が米粒を撒(ま)いたように散っていた。そこに草葺(くさぶき)の三本柱の亭(あずまや)があって、花の木が枝を交えていた。

王は小刻みに歩いてその花の下をいった。頭の上の樹の梢(こずえ)がざわざわと鳴るので、ふいと顔をあげてみた。そこに嬰寧があがっていたが、王を見つけるとおかしくておかしくてたまらないというように笑いだした。王ははらはらした。

「およしよ、おっこちるよ。」

嬰寧は木からおりはじめた。おりながらとめどもなしに笑って廃(よ)すことができなかった。そして、やっと足が地にとどきそうになってから、手を滑らして堕ちた。それと一緒に笑いもやんだ。王は嬰寧を扶け起したが、その時そっとその腕をおさえたので、嬰寧の笑いがまたおこった。嬰寧は樹にかきつくようにして笑って歩くこともできなかったが、暫くしてやっとやんだ。

王は嬰寧の笑いやむのを待って、袖の中から彼の萎(しお)れた梅の花を出して、 「これを知ってるの。」

といった。嬰寧は受け取っていった。

「枯れてるじゃないの。なぜ、こんな物を持ってるの。」

「これは上元の日に、あんたがすてたものじゃないか。だから持っているのだよ。」 「持っててどうするの。」

「あんたを愛するためだよ。上元の日にあんたに逢ってから、思いこんで病気になって、もう死ぬるかと思ったのだよ。それがこうして逢えたから、気の毒だと思っておくれよ。」 嬰寧はいった。

「そんなことなんでもないわ。親類の間柄ですもの、兄さんがお帰りの時、老爺(じいや)を呼んで来て、庭中の花を大きな篭(かご)へ折らせて、おぶわしてあげますから。」 王はいった。

「馬鹿だなあ。」

嬰寧はいった。

「なぜ、馬鹿なの。」

王はいった。

「私は花が好きじゃないよ、花を持っていた人が好きなのだよ。」

嬰寧はいった。

「親類じゃないの、愛するのはあたりまえだわ。」

王はいった。

「私が愛というのは、親類の愛じゃないよ、つまり夫婦の愛だよ。」

嬰寧はいった。

「親類の愛だっておんなじじゃないの。」

「夫婦になったら一緒にいるのだよ。」

嬰寧は俯向(うつむ)いて考えこんでいたが、暫(しばら)くしていった。 「私、知らない人と一緒にいたことないわ。」

その言葉のまだ終らない時に、婢がそっとやって来たので、王はあわてて逃げた。 暫くして王と女は、老婆の所で逢った。老婆は嬰寧に訊いた。

「どこへいってたね。」

嬰寧はいった。

「庭で話していたわよ。」

老婆はいった。

「とうに御飯ができてるのに、何の話をしていたのだよ。またお喋りをしていたのだろう。」 嬰寧はいった。

「兄さんが私と一緒に……。」

王はひどく困って急に嬰寧に目くばせした。嬰寧はにっと笑ってよした。しかし幸にしてそれは老婆に聞えなかったが、そのかわり老婆はくどくどと嬰寧の長く帰らなかった理由を訊いた。そこで王は他のことをいって打ち消し、そのうえで小声で嬰寧を責めた。 「あんな馬鹿なことをいうものじゃないよ。」

すると嬰寧がいった。

「あんなことをいってはいけないの。」

王はいった。

「そんなことをいうのは、人に背(そむ)くというのだよ。」

嬰寧はいった。

「他人に背いても、お祖母(かあ)さんには背かれないわ。それに一緒にいることなんて、あたりまえのことじゃないの、何も隠さなくってもいいじゃないの。」

王は嬰寧に愚(おろ)かな所のあるのを残念に思ったが、どうすることもできなかった。 食事がちょうど終った時、王の家の者が二疋(ひき)の驢(ろば)を曳(ひ)いて王を探しに来た。それは王が家を出た日のことであった。王の母親は王の帰りを待っていたが、あまり帰りが遅いので始めて疑いをおこし、村中を幾日も捜してみたがどこにもいなかった。そこで呉の家へいった。呉はでたらめにいった自分の言葉を思いだして、西南の山の方へいって尋ねてみよと教えた。家の者は幾個かの村を通って始めてここに来たのであった。王は門を出ようとして、その人達に逢ったのであった。王はそこで入っていって老婆に知らし、そのうえ嬰寧を伴(つ)れて帰りたいといった。老婆は喜んでいった。

「私がそう思っていたのは、久しい間のことだよ。ただ私は、遠くへいけないから、お前さんが伴れて、姨(おば)さんに見知らせてくれると、好い都合だよ。」

そこで老婆は、

「寧子や。」

といって嬰寧を呼んだ。嬰寧は笑いながらやって来た。老婆は、

「何の喜しいことがあって、いつもそんなに笑うのだよ。笑わないと一人前の人なのだが。」 といって、目に怒りを見せていった。

「兄さんがお前を伴れていってくれるというから、仕度をなさいよ。」

老婆はまた使の者に酒や飯を出してから、一行を送りだしたが、その時嬰寧にいった。 「姨(おば)さんの家は田地持ちだから、余計な人も養えるのだよ。あっちにいったなら、どうしても帰ってはいけないよ。すこし詩や礼を教わって、姨さんに事(つか)えるがいい。そして、姨さんに良い旦那をみつけてもらわなくちゃいけないよ。」

二人は出発して山の凹みにいって振りかえった。ぼんやりではあるが老婆が門に倚(よ)って北の方を見ているのが見えた。やがて二人は王の家へ着いた。母親は美しい女を見て訊いた。

「これはどなた。」

王は、

「それは姨さんの家の子供ですよ。」

といった。母親は、

「姨って、いつか呉さんのいったことは、うそですよ。私には姉なんかありませんよ、どうして甥(めい)があるの。」

といって、嬰寧の方を向いていった。

「ほんとに私の甥(めい)なの。」

嬰寧はいった。

「私、お母さんの子じゃないの。お父様は秦という苗字なの。お父様の没(な)くなった時、私、あかんぼでしたから、何も覚えはありませんの。」

王親はいった。

「そういえば、私の一人の姉が、秦(しん)へ嫁入ってたことは確かだが、没くなってもう久しくなっているのに、なんでまた生きているものかね。」

そこで顔の恰好や痣(あざ)や贅(いぼ)のあるなしを訊いてみると一いち合っている。しかし母親の疑いは晴れなかった。

「そりゃ合ってるがね。しかし没くなって、もう久しくなる。どうしてまた生きているものかね。」

判断がつきかねている時、呉が来た。嬰寧は避けて室の中へ入った。呉は理由を聞いて暫くぼんやりしていたが、忽(たちま)ちいった。

「女は嬰寧といいやしないかい。」

「そうだよ。」

と王がいった。呉は、

「いや、そいつは、怪しいよ。」

といった。王は呉が女の名を知っていることを先ず聞きたかった。

「君はどうしてその名を知っているね。」

「秦の姑(おば)さんが没くなった後で、姑丈(おじ)さんが鰥(やもめ)でいると、狐がついて、瘠(や)せて死んだが、その狐が女の子を生んで、嬰寧という名をつけ、むつきに包んで牀(とこ)の上に寝かしてあるのを、家の者は皆見ていたのだ。姑丈(おじ)が没くなった後でも、狐が時おり来ていたが、後に張天師のかじ符(ふだ)をもらって、壁に貼(は)ったので、狐もとうとう女の子を伴れていったのだか、それじゃないかね。」 皆で疑っている時、室の中からくつくつと笑う声が聞えて来た。それは嬰寧の笑う声であった。母親はいった。

「ほんとに彼(あ)の子は馬鹿だよ。」

呉が女に逢ってみようといいだした。そこで母親が室の中へ呼びにいった。嬰寧はまだ大笑いに笑っていてこっちを向かなかった。

「ちょっとおいでなさいよ。逢わせる人があるから。」

嬰寧は始めて力を入れて笑いをこらえたが、また壁の方に向ってこみあげて来る笑いをこじらしているようにしていて、時を移してからやっと出たが、わずかに一度お辞儀をしたのみで、もうひらりと身をかえして室の中へ入って、大声を出して笑いだした。それがために家中の婦(おんな)が皆ふきだした。

呉はその不思議を見きわめて、異状がなければ媒酌人(ばいしゃくにん)になろうといって、西南の山の中の村へ尋ねていった。そこには家も庭もまったくなくて、ただ木の花が落ち散っているばかりであった。呉は姑(おば)の墓がそのあたりにあるような気がしたが、何も墓らしいものが見えないので、疑い怪しみながら帰って来た。

母親は呉の報告を聞いて、嬰寧を幽霊ではないかと疑って、その室へ入っていって、 「お前さんの家は、ないというじゃないか、どうしたの。」

といったが、嬰寧はべつにあわてもしなかった。

「お気の毒ねえ、家がなくなって。」

ともいったが、べつに悲しみもせずに笑うばかりであった。

嬰寧は何につけても笑うばかりであるから、だれもその本姓を見きわめることはできなかった。母親は夜、嬰寧と同じ室に寝ていた。嬰寧は朝早く起きて朝のあいさつをした。裁縫をさしていると手がうまかった。ただ善く笑うだけは止めても止まらなかった。しかし、その笑いはにこにこしていて、狂人のように笑っても愛嬌(あいきょう)をそこなわなかった。それで人が皆楽しく思って、隣の女や若いお嫁さん達が争って迎えた。

母親は吉日を択(えら)んで王と嬰寧を結婚させることにしたが、しかし、どうも人間でないという恐れがあるので、ある日、嬰寧が陽(ひ)の中に立っているところを窺(のぞ)いてみた。影がはっきりと地に映っていてすこしも怪しいことはなかった。そこで母親はその日が来ると華かな衣装を着せて儀式の席へ出したが、嬰寧がまた笑いだして顔をあげることができないので、儀式はとうとうできずに終った。王は嬰寧が馬鹿なために二人の間の秘密を漏らしはしないかと恐れたが、それは決して漏らさなかった。

母親が心配したり腹を立てたりする時に、嬰寧が傍へいって一度笑うと、それでなおってしまった。婢(じょちゅう)や奴(げなん)が過(あやま)ちをしでかして、主婦に折檻(せっかん)せられるような時には、嬰寧の所へ来て、一緒にいって話してくれと頼むので、一緒にいってやるといつも免(ゆる)された。

嬰寧は花を愛するのが癖になっていた。そっと金の釵(かんざし)を質に入れて、その金で親類の家をかたっぱしから探して、佳(よ)い花の種を買って植えたが、数月の中に、家の入口、踏石(ふみいし)、垣根(かきね)、便所にかけて花でない所はなくなった。庭の後に木香(もっこう)の木の棚があった。それは元から西隣の家との境にあった。嬰寧はいつもその棚の上に攀(よ)じ登って、薔薇(ばら)の花のようなその花を摘んで頭髪にさした。母親は時どきそれを見つけて叱ったが嬰寧はついに改めなかった。

ある日、西隣の男がこれを見つけて、じっと見とれたが、嬰寧は逃げもせずに男の方を見て笑った。西隣の男は女が自分に気があると思ったので、心がますますとろけた。と、女は牆(かきね)の下に指をさして笑ってからおりていった。西隣の男は女が晩にここへ来いといったと思ったので、大悦びで日の暮れるのを待ちかねて牆の下へいった。いってみると果して女が来ていた。西隣の男はすぐ抱きかかえた。と体の一部が錐(きり)で刺されたように痛さが体にしみわたったので、大声に叫ぶなり(たお)れてしまった。その男の女と思ったのは一本の枯木であった。その男の父親は悴(せがれ)の叫び声を聞きつけて走って来て、

「おい、どうした、どうした。」

といったが悴は呻(うめ)くのみで何もいわなかった。そこへ細君が来たので悴は事実を話した。そこで火を点(つ)けて枯木の穴を照らしてみた。そこには小さな蟹(かに)のようなさそりがいた。父親は木を砕いてさそりを殺し、悴をおぶったが、夜半頃になって悴は死んでしまった。

西隣では王を訟(うった)えて、嬰寧が怪しいことをするといった。村役人はかねてか

ら王の才能を尊敬して、篤行の士と言うことを知っていたので、西隣の父親のいうことは誣(し)いごとだといって、杖(むち)で打たそうとした。王は西隣の父親のためにあやまってやったので、西隣の父親は釈(ゆる)してもらって帰って来た。

王の母親は嬰寧にいった。

「馬鹿なことをするから、こんなことになるのだよ。もう笑うことはよして、悲しいことも知るがいいよ。村役人は幸にわかった方だから、よかったものの、これがわからない役人だったら、きっとお前を役所で調べたのだよ。もしこんなことがあったら、あれが親類へ顔向けができますか。」

嬰寧は顔色を正していった。

「もう、これからは、決して笑いません。」

母親はいった。

「人は笑わないものはないから、笑ってもいいが、ただ時と場合を考えなくちゃ。」 嬰寧はこれからはまたと笑わなかった。昔の知人に逢ってもついに笑わなかった。しかし、終日淋(さび)しそうな顔はしなかった。

ある夜、嬰寧は王といる時に、涙を流した。王は不思議に思って訊(き)いた。 「どうした。」

すると嬰寧はむせび泣きをしていった。

「これまでは日が浅いから、こんなことをいったら、怪しまれるだろうと思って黙っていましたが、今ではお母さんもあなたも、皆さんが私を可愛がってくださって、へだてをしてくださらないからありのままに申しますが、私はもと狐から生まれたものです。母が他へゆくことになって、私を没くなっているお母さんに頼んだものですから、私は十年あまりもお母さんの世話になってて、今日のようなことになりました。私には他に兄弟もありませんし、恃(たの)みにするのはあなたばかりです。今、お母さんは寂しい山かげにいるのですが、だれもお父さんの傍へ葬ってくれないものですから、お母さんはあの世で悲しんでいるのです。あなたがもし、費用をおかまいなさらないなら、あの世の人の悲しみをなくしてやってください。私をお世話してくだされてるから、すてておくこともできないと思って。」

王はうなずいた。

「いいとも、だがどこにあるだろう。」

嬰寧はいった。

「すぐ判(わか)ります。」

日を期して二人は(ひつぎ)を持って出かけていった。嬰寧はいばらの生い茂った荒れはてた中を指さした。掘ってみると果して老婆の尸(しがい)があった。皮膚も肉体もそのままであった。嬰寧はその尸を撫(な)でて泣いた。

そこで二人はその尸をに入れて帰り、秦氏の墓を尋ねて合葬した。その夜、王の夢に老婆が来て礼をいって帰った。王は寤(さ)めてそれを嬰寧に話した。嬰寧はいった。 「私は、ゆうべ逢ったのですよ。あなたをびっくりさしてはいけないというものですから。」 王はいった。

「なぜ留(と)めておかなかったのだ。」

嬰寧はいった。

「あの人はあの世の人ですから、生きた人の多い、陽気の勝った所にはいられないのです。」 そこで王は訊いた。

「小栄はどうしたのだろう。」

嬰寧がいった。

「あれは狐ですよ。あれは気が利いてたから、母が私の世話をさしたものです。しょっちゅう木の実を取って来てくれました。だから私は有難いと思ってるのですが、母に訊きますと、もうお嫁にいったのですって。」

その歳から冬至(とうじ)から百五日目にあたる寒食(かんしょく)の日には、夫婦で秦氏の墓へいって掃除するのを欠かさなかった。女は翌年になって一人の子を生んだが、抱かれているうちから知らない人を畏(おそ)れなかった。そして、人さえ見れば笑ってまた大いに母のふうがあった。

更多相关推荐:
读聊斋志异之婴宁有感

读聊斋志异之婴宁有感聊斋志异是一部思想艺术都具有独特风貌的文言文著作是我国志怪传奇小说中的代表它塑造了一批性格各异生动可爱的女妖形象无不栩栩如生它把神话幻想与各种各样的人与人生紧密而巧妙地结合起来以幻异的形象结...

观《聊斋志异之婴宁》有感

观聊斋志异之婴宁有感异史氏曰观其孜孜憨笑似全无心肝者而墙下恶作剧其黠孰甚焉至凄恋鬼母反笑为哭我婴宁殆隐于笑者矣窃闻山中有草名笑矣乎嗅之则笑不可止房中植此一种则合欢忘忧并无颜色矣若解语花正嫌其作态耳这段话出自蒲松...

读聊斋志异婴宁有感

笑仙之笑与悲阅完诸篇独喜婴宁聊斋先生亦难得道出我婴宁三字显见其倾心且婴宁虽一女子倒似有魏晋风度阮籍嵇康之风颇得我心更何况此奇女子乃蒲留仙释道儒三流之倾注婴宁之形象首先即是拈花一笑不禁让人想到世尊在灵山会上拈花示...

浅谈《聊斋志异》中婴宁天真善良的形象

安徽电大宿州分校毕业论文论文题目浅谈聊斋志异中婴宁天真善良的形象20xx秋汉语言文学专业本科分校宿州电大姓名曹宇学号0934001265171专业汉语言文学本科目录一内容提要1二关键词1三正文1天真单纯与花为伴...

《聊斋志异》中婴宁人物形象分析

聊斋志异中婴宁的人物形象分析聊斋志异是我国古代文言短篇小说的高峰鲁迅评价它说虽亦如当时同类之书不外记神仙狐鬼精魅故事然描写委屈叙次井然用传奇法而以志怪变换之状如在眼前又或易调改弦别叙畸人异行出于幻域顿入人间偶述...

读《聊斋志异》有感

写鬼写妖高人一等刺贪刺虐入骨三分读聊斋志异有感暑假以来我闲居在家中所以除了看书外也看了几部电视剧其中我看了一部名为聊斋奇女子的电视剧很早就听说过聊斋了但是始终没看过原书于是我就借着暑假的当把聊斋志异的一些经典篇...

聊斋志异读后感

聊斋志异读后感09中文董丹丹09111204最开始听说聊斋两个字是小时候在电视节目里看到的剧目阴森的画面配上诡异的音乐让幼时的孩子心生恐惧以至于整个童年都觉得这世上有妖怪有鬼魅后来开始接触文学作品思维才渐渐得到...

聊斋志异-婴宁

读聊斋志异之婴宁花枝间是她花一样的笑脸丛花乱树中隐隐有小里落舍宇无多皆茅屋而意甚修雅婴宁是属于这般诗意的风景的她是在恬静中烂漫着的女子婴宁自小随鬼母长在山林草丛间远离尘嚣大多时间以种花为乐趣未染于红尘如浑金璞玉...

聊斋志异——论婴宁的笑

亦花亦狐笑人生婴宁浅析聊斋志异是我国古代文言短篇小说的顶峰之作里面有很多故事是以狐狸精为女主角的在作者的笔下花妖狐媚多具人情和易可亲忘为异类鲁迅全集第九卷可见作者对狐狸精自有偏爱众多色彩缤纷仪态万千的艺术形象显...

《聊斋志异》之《婴宁》赏析——美到极至是自然

聊斋志异之婴宁赏析美到极至是自然如果把聊斋志异比作我国古文小说之桂冠婴宁则是这顶璀璨桂冠上的明珠聊斋志异所塑造的流光溢彩的绝妙女子当中婴宁以其真纯自然之美卓然独立如清风拂过山野如泉水叮咚跃过小溪婴宁之美纯洁如玉...

聊斋志异精选故事 婴宁拈梅

聊斋志异精选故事婴宁拈梅ThisisanepisodefromthenovelStrangeTalesfromMakeDoStudioHisfatherdiedwhileWangZifuwasveryyoung...

聊斋志异之婴宁 日文小说

嬰寧蒲松齢王子服羅店人早父親失聡明十四学校入母親可愛郊外遊蕭姓家女結婚嫁入来没代細君女探纏上元節母方従兄弟呉者迎来一緒遊出村時呉家僕呉呼来伴王野出遊女多見興独遊歩一人女婢伴枝着梅花歩珍佳容色笑手掬王見詰相手厭忘...

聊斋志异婴宁读后感(15篇)