競争を楽しむ
皆さんは競爭心というとどのような事を想像しますか?
日常にはない、厳しい戦いをイメージするでしょうか?
でも、実際はとても身近に存在することなのです。例えば、ゲームが好きな人なら。。。。
ゲームが好きな人なら、よくこういう体験をするかもしれません。せっかく打ち立てた成績が、よく友達、あるいは兄弟にやすやすと破られてしまったということがありませんか。そのような時は、口では「すごい!」と言っていますが、実は心の中では不愉快でしょう。そして、一生懸命にその記録を破ろうとしています。新たな記録を打ち立てるまで、頑張るでしょう。また新記録が誕生しても、また破られてしまったら、また挑戦するでしょう。その繰り返しの過 程は、その人にとっての小さな競争だとも言えるかもしれません。
もう一つの例を挙げさせていただきます。
友人と試験の成績を比べるということです。中学校一年の時、初めて英語の試験を受けたとき、いい成績が取れたと思いましたが、友人と比べたら、かなり差がありました。それを知って、ちょっと落ち込んでしまいましたが、「これからもっと頑張らなきゃだめだなあ。」と思いました。そして、友人よりもっと高い点を取るために、毎日一生懸命に英語を読んだり、聞いたりしました。懸命に努力する人は、いつか必ずその努力が実を結ぶかも知れません。大学でも、私は自分の成績とクラスメートの成績を比較することが好きです。お互いに競争することが好きです。それにより、自分が進歩したかどうか分かってきます。それが、次の頑張る目標を明らかにします。そして、勉強することに対する興味も出てきます。それは、もともとは「競争心」からです。
競争と言うと、一般に厳しい感じを受けます。誰かと何かを争わなければならない気がします。確かに、競争は、多くの人が同じ目標を目指して、お互いに競う過程です。そのうちに、傷ついたり、失敗したり、負ける人もいますが、ほとんどの人は諦めずに最後まで踏ん張ります。優勝者は一人しかいないかもしれませんが、その過程での頑張りが大切だと思います。
学校もよく私たち学生に対して競争の舞台を提供します。例えば、クラス対抗合唱とか、スポーツの試合とか、スピーチ大会とかいろいろとあります。その目的は、学生たちにそのようなコンテストや試合までの過程を経験させるためです。その準備や練習の過程において、お互いに協力し、精一杯努力する事を学ばせます。その過程は結果より、もっと
貴重で、忘れられないのではないでしょうか。しかし、すべての学生が積極的にそれぞれの競争に参加するわけではありません。多くの学生は、「競争なんか、やっぱりない方がいいな。」とか、あるいは「まったく時間がないし、そんなことできない。。」と考えています。でも、時間がない、できないというより、むしろその激しい競争を恐れて、言い訳をし、そこから逃げ出すのではないかと思います。やりたいのに、参加したいのに、少しの困難に負けて、すぐに諦めてしまうのはほんとうに残念です。、結果は言うまでもなく、結果を見る前の、その過程をも楽しむこともできません。
私にとっては、競争なしの学習はつまらないものだと思います。競争がない生活では進歩があまりないのではないかと思います。競争がないなら、社会全体の進歩も望めないでしょう。私は、競争によって、生きがいのある人生を送りたいと思います。まだ若いうちに、エネルギーがいっぱいあるうちに、恐れないで、競争を毎日の食事のように、日常生活に不可欠なものの一つとして、楽しみたいです
もっとも、競争は大切なことだけれども、それ社会の中での一要素です。他にも大切なものがあることも忘れてはいけないと思います。
第二篇:日语演讲稿
《私の夢》
皆さん、こんばは。私は1年3組の高原ともうします。今日のスピ一チのテ一マは「私の夢」でございます。よろしくおねがいいたします。では、始めます。
子供の時、私の体は弱かったので、遠い所に出かけることができませんでした。あの時、毎回ほかの子供たちは旅行から帰ってきて、旅の見聞を聞かせた時、私はいつも大変羨みました。それから、あの時私の夢はスーパーマンになって、どちらへも飛んで行けることでした。大きくなって、世界中にスーパーマンなんかいないことを知っていました。でも、ずっと一人でどこかへ旅行に行こうと期待しています。
中国語に「千里の旅、万巻の書」と言う諺があります。旅行はストレスを解消することができるし、ほかの国の習慣や風俗なども知ることができます。そのうえ、自分の知識も豊富になります。それで、今私の夢は、ある日世界旅行へ行けることになります。
旅行に行きたいです。リュックサックを背負って、東へ行きます。美しい東京に散歩して、東京タワーに登って、東京ディズニーランドに行きたいです。南へ行きます。ロマンチックなバリに歩いて、大波の音を聞いていて、海風を吹いています。西へ行きます。有名なエジプトに遊んで、ピラミッドを遊覧します。
今、夢のために、一生懸命に知識を勉強するだけでなく、生活の能力も強めています。それに、また、沢山の金を儲けたいです。勿論このより、もっと重要な一つは友達を沢山作ることです。「友達が多いと何も困らない」と言う話を信じています。
旅行を通して自分の視野を広めて、生活の幸せを味わいます。だからこそ、千里の旅は万巻の書に値するのであります。
以上です。どうもありがどうございました。
ありがとうの心
ビジレス日本語1グラス 斉超 せいちょう
皆さんは人間と人間を結ぶコミュニケーシュンの言葉,ありがとうの意味を考えてみたことがありますか?
考えてみると、私たちの周りにはありがとうの意味がたくさんあります,空気はなくてはならない物ですが、無料で与えられます,草や木、花は私たちの心をなごませ、酸素を供給してくれます,座っている椅子、書いている机は、だれかが作ってくれた物です,どんな小さい物でも、自分で作った
物ではなく、だれかが作ってくれた物です.ですから、感謝の言葉を言うべきじゃありませんか?
こうしてみると、何から何まで、始めから終わりまで、自分ひとりで自分に与えることができる物は、まず、ありません.例えば、生まれてきた、私たちの生命は両親が与えてくれました,服は工場の工員が作ってくれます、食べ物は農民がうえてくれます,この平和な社会で、いい教育を受けられます,でも、私たちはそんなすべてのことにありがとうと言いません. 自分がまちがって、批判を受ける時も,ありがとうと言い忘れてはいけません,もし、ありがとうをいうことを忘れ慣れてしまうと、私たちの成長はありません,以前、私はこんな体験をしました、自身を持って、重要な任務を担当したとき、ある先輩は私にそれはだめだと否定的な意見を言いました,その時、私はその批判を受けれられませんでした,先輩と口げんかをしましたが、その後、自分でよく考えました、自分
の短所を指摘してくれた人を恨むべきではありません,その声をじっくり聞いた後、先輩の言葉の意味が理解できて、私は成長することができました、先輩を恨むよりむしろありがとうと言うべきだと思いました.感謝の気持ちを持つと、毎日の生活は恨みが少なくなり、心は寛大になりました. 他人と対等に話ができるのは嬉しいことです,人間が一番嬉しいと感じるのは、他人に認められることです.私たちは言葉というもので、お互いの気持ちを伝えることができます,ですから、みんなの感情がだんだん深まります,だから、家族、友人、知りあいなど、いろいろな人間関係にも、ありがとうを言いましょう,ありがとうの心を持ってください、人間にとって大切なことは自分の心の中のありがとうを大切にすることだと思います.
ありがとうの心を持つことは、人生でとても幸せなことだと思います,この人間社会のコミュニケーシュンはきっと潤滑になります.
皆さん、そう思いませんか? --------自百度文库
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coco&coco [神机真人]
一、日本語の発音に対する認識
まず、しっかりと五十音図を把握しなければなりません。日本語では、発音の練習とひらがなの練習を同時に行う場合が良くあります。それによって、日本語の音と表記の関係が知らない内に身についていくわけです。ことばと表記を対応しながら発音の練習をしていくと正しい発音がだんだん身についてくると思います。文法や語彙が完璧でも、発音が悪くて何をいっているか分からないのでは困ります。
二、日本語の漢字に対する認識
「日本語ができる、日本語でコミュニケーションができる」といいきるためには漢字の知識は必要不可欠なものだと思います。もし日本で生活することにもなれば、身の回りは漢字だらけなわけですが、漢字がわからないと、いろいろと不自由を感じることになると思います。その漢字を学習するには、動機付けが大切だと思います。これら動機付けを刺激する、最も簡単な方法は素材選びです。例えば:読みたい漫画やテレビ ゲームなどの解説書、あるいは自分が好きな日本人歌手が歌っている歌の歌詞など、好きなものを選んで素材にし、要はその中に出てくる漢字の意味と読み方が覚えられればいいのです。この中に一番大切なのは、「その素材を読みたい、何とかして意味がわかりたい」と、漢字の学習の意欲を起こす気持ちです。
三、日本語の敬語に対する認識
敬語は大切な日本の文化であります。「日本語の敬語は美しく興味があるが、学習するには複雑で難しい」と嘆く人も大勢いると思います。それも敬語の学習における厳しい現状であります。
日本語では、相手を敬う尊敬語、自分を下げる謙譲語、名詞の頭に「お」「ご」をつけて丁寧さを表現する美化語などいろいろな敬語が使われています。この厄介な敬語をどう扱うべきか、敬語をうまく把握できれば、日本語の上達への近道にもなり得ると考えています。教科書では、初級の最終段階でこの敬語を取り扱っているものが多いようです。この段階での私の立場は1:敬語の存在を認識する、2:敬語のルールを理解する、3:話されている敬語を聞いて理解する、の3つができればいいのではないかと思っています。 もし敬語を「正確に使えないのなら、使わないほうがいい」、という認識もしなければなりません。ここで私たち最も大切にしたいのは、今学習している日本語、「です、ます」を使う「ていねい体」といわれている日本語も立派な敬語で、社会的に十分通用する自然な美しい日本語であることを強調することです。
四、日本語の文型に対する認識
日本語の文型を応用する場合には、語彙の難しさよりも、文構造の複雑さが大切になりま
す。これらの文型を導入して使う場合、易から難の法則に従わなければなりません。
まず構造が比較的単純な文型を使って、疑問の形や否定の形などを十分に練習します。そ
してその次にさらに複雑な文構造に発展させるという段取りで、少しずつ定着していきま
す。この形の練習を重ねると、私たちにとって負担が少なく、習得しやすくなるわけです。
できるだけ自分で日本語を使う環境を作り、その良い学習方法を見つけ出すことです。そして「聞いて、見て、言う」という言語学習の欠かせないものを、しっかりと心掛けて持
続していくということです。
-----------自爱问
日语演讲稿:青春、記憶の中の青色
2010-05-06 18:31
皆様、こんばんは、私は岳学謙です、よろしくお願いいたします。
私は青い色が好きです。さらに空の青い色も好きです。
青春の記憶の中で、私は空を見上げていました。偶然、振り返ると、青春の時は終わり、私達は記憶に深く刻む大切思い出があることでしょう。素晴らしい恋愛とか、信じられる友情とか、夢歳月が流れるのは水のようです。私の青春は恋愛と奮闘がありませんが、空の青色だけがありま高校の思い出の中で、私はいろいろ覚えています。
休みの時、日差しが美しい午後が好きです。小さな土手の斜面に寝転で、空を見上げました。あを走って、空を眺めました。小さな土手と小な道がいつも青春の息吹に満ちていました。とてもも気楽だと、、、
授業の時、私は窓のそばに座ることがすきです。雲に飾られた空で、たまに何羽かの小鳥が飛んもそんな美しい眺めに引き付けられました。空を見上げる間、もう授業が終ってしまいました。私は明るい性格ですけど、あまり活発ではありません。それで、いつも微笑みを絶やしたことが一緒に遊びに出た時、私は後ろで一人で歩くことが好きです。友達の言葉を聞きながら空を見上つまらない時、私は自分に聞いたことがあります。どうして、私は空を見上げることがすきですん。
たぶん、空を見上げる時、落ち付くと感じらるからでしょう。
たぶん、空を見上げる時、空に憧れて空に近付く夢を見られるからでしょう。
月日が流れました。今、私は片思いの人がいて、頑張れることも知っています。でも、私はいつ記憶の中の青色、本当に安心させるし、本当に暖かいと感じさせるし、本当に、、、
以上です、どうもありがとうございました 。