篇一 :日语演讲稿-我的梦想(私の梦)

私の夢

しんけんよう

皆さん、こんにちわ。私は******と申します。私のスピ-チのテ-マは「私の夢」です。

私には大きな夢がありません。私の夢は家族がずっと楽しく暮らすことです。

私は一人っ子だったので子供の時から家族に大事に育てられました。それで、私は自分のことを王子(おうじ)様だと思っていました。家族の気持ちを考えていませんでした。とてもわがままだし、利己的(りこてき)でした。自分がしたいことはすぐしていました。もし家族は反対しても、私はそうしました。今思い出してみると、両親はあの時とても悲しかったはずです。

その後、私は年を取れば取るほど家族といるのが嫌になリました。家族と話したいこともなかったうえに、家族としたいこともなかったからです。それに毎日家族からいろいろうるさく言われていたからです。そのせいで、家族といるのは面白くなかったです。

その後、私は高校を卒業しました。私は***大学を選びました。理由が二つありました.ひとつは外の世界を見たかったからです。もうひとつの理由は家族といるの生活に飽(あ)きたからです。大学に入ったあと、とても楽しいことがたくさんありました。家族がそばにいないことは自由だと思いました。それから、六ヶ月はずっと故郷(ふるさと)に帰りませんでした。帰るとき、家族は少しも変わっていないと思いました。でも、帰った時私が予想していたものとは違いました。家族ははっきり年を取っていました。その上、母は重病(じゅうびょう)にかかっていました。その時、私は始めて怖くなりました。私は初めて家族と過ごせる時間があとどのぐらいあるんだろうと、自分の中で考えてみました。自分が家族のために何かしたかと反省(はんせい)しました。本当に怖くなりまぃた。

だから、私は今の生活を大切にしたいです。これから、私は家族を守ります。家族が幸せに暮らせるようにするのは私の責任(せきにん)ですから。 以上です.ご静聴(せいちょう)ありがとうございました。

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篇二 :关于幸福的日语演讲稿

皆様、こんにちは、私はごへいと申します。スピーチのタイトルは「幸せ」です。どうぞよろしくお願いします。

私たちはいつも幸せを探していますが、それは一体どこにあるのだろう?どうすれば幸せになれるのだろう?

皆さんにとって、幸せとはなんですか、大金を持つことですか。それとも楽しい生活を過ごすことですか。みんなに私の幸福観を説明するために、日本で実際にあった出来ことを紹介しようと思います。多くの人が感動した本当のストーリーです。 池内亚也という女の子は,平凡だけれど幸せな家庭で生まれました。理想な高校に合格して、これからのきっと楽しくて素晴らしい人生を期待していました。その時に不治の病が亚也をおそいました。これから青春を迎え、一生懸命頑張ろうとする大切な時に、希望を失ってしまいました。体が思いどおりに動かないし、歩いても転んでしまうし、自分で書くことも食べることもできなっくなってしまいました。その時、亜やは十五歳で、こんな何もできない自分を見て、亜也はいつも泣いていました 。「どうして、病魔は私を選んだの?どうして」と医者に何度も聞きました。しかしこんなひどい目にあっても、亚也は毎日日記をかくことで、頑張って病魔と戦っていました。亚也は朝、目覚めて自分が生きていることに気がついただけで、幸せだと感じました。皆さんこんな亚也の事を考えると、私たちは生きているだけでも幸運なことだと思いませんか?

これなら、どうして私達の多くはいつも自分が幸せだと感じられな

いのでしょうか?

私達がなにかつらい事,困ってことに会った時、「なぜ私なのですか?」と文句を言います。しかし,いずれ、私たちは強くならなければいけません。亚也のように、楽観的に、勇敢に生きていか

なければなりません。

以前は私は幸せとは何かをまったく知りませんでした,しかし今の私は夢や目標があれば、それでじゅうぶん幸せだと思うようになりました。皆さんはいかがでしょうか?これから今を大切にして、頑張って夢を実現しましょう。幸せになるために。。。

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篇三 :日语演讲稿——我心中的日本

1

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篇四 :眼泪的意义日语演讲稿

涙の意味

陳 瑩瑩

子供の時、周りの人にいつも「弱気になって泣くな」と言われました。だから,私はずっと涙を流すことが恥ずかしいと思ってきました。人に気づかれないように、こっそり泣きます。でも,今の私は大人になって、涙の本質を改めて考え直しました。

涙は誠に不思議なものですね、生まれた時から、ずっと人間に備わっています。人間は自分の涙と共にこの世界に生まれて来ます。それから、他人の涙と共にこの世界から離れて行きます。「笑顔は一種類だけです、でも涙には様々な種類があります」という言葉を聞いたことがあります。そうですね、涙にはいろいろな意味があります。

大切な人や物などを失ってしまった時、悲しくて涙が流れてきます。 一番行きたい大学に合格したとき、嬉しくて涙が流れてきます。とても信用している人に騙されたとき、怒りで涙が流れてきます。苦境などで助けられた時、感謝で涙が流れてきます。大切な人に誤解された時、悔しくて涙が流れてきます。自分の誤りで他人を傷つけたとき、恥ずかしくて涙が流れてきます。

このように涙の意味は本当に様々ですね。どんな感情でも表現できます。でも、なぜ涙は匂いもないし色もないし無色透明なのでしょうか?それは私たちの心がきれいだからではないでしょうか。なぜ涙は海のように塩の味がするのでしょう?涙は海と同じです、色々な物が含まれているからなのではないでしょうか。なぜ涙は暖かいのでしょう?涙の温かさは心の温かさだからこそです。なぜ涙は真珠のような形なのでしょう?涙は真珠と同じで、美しく貴重なものだからなのでしょう。人間にとって、生まれの善し悪しにかかわらず、老若男女を問わず,誰でも涙が必要です。もしある日、人が涙を失えば、感情がない無関心な人間になると思います。お金がなくても、まったく恐れるに足りない事ですが、涙がなくて感情もないこと、これは確かに恐ろしいことだと思います。無一文になっても、神様から一番貴重な恵みをもらったことを忘れない。涙のため、世界に人間味があふれるようになります。皆さん、人生の道はまだまだ長く、恥ずかしがらずに、思う存分に涙で自分の喜怒哀楽を表現してください。

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篇五 :【私の大学生活】我的大学生活,日语演讲稿,初级(大一水平)

みんな皆さん、おはようございます。始めましで。私は林晨昕と申

しょうじきいいまみんなまえたたいへんわたしりんきんしんもします。正直に言いますと、今こうして皆さんの前に立ち、大変

きんちょう緊張しております。私は日本語7カ月ぐらい勉強しましたが、

じょうずこんかいたいかいわたしにほんごねつべんきょうあまり上手ではありません。でも今回のスピーチ大会はどてもいい

べんきょう勉強のチャンスですから、私はこの大会に参加できることを光栄

おもわたしだいがくせいかつしょうかいわたしたいかいさんかこうえいに思っています。でわ私の大学生活について紹介させていただきたいと思います。

では、始めます。

わたしはじおも私は去年の9月にこの大学に入りました。近くの出身ですけ

まえいちどがっこうきわたしじもときょねんくがつだいがくはいちかしゅっしんど、その前に一度もこの学校に来たことがありません。私たち地元

の人にとってもこれはあまり有名な大学ではありません。でも実際に来てみればとても綺麗な所です。特に春が来ると。校庭に色色なはなききれいところとくはるくこうていいろいろひとゆうめいだいがくじっさい花が争うように開き、とても感動させられます。

がっこうあらそひらかんどう学校の外に小さな川が流れて、川沿いに公園があります。そこで皆は運動をしたり、本を読んだり、雑談をしたりします。余暇を過ごすいい場所です。

大学の生活はとても規則的です。毎朝6時半起きます。それから、ルームメートと一緒に運動をします。食堂へ朝ご飯を食べに行きます。いつも友達と話しながら食べます。朝の食堂はとてもにぎやかです。

それから、クラスメイトと一緒に教室へ行きます。七時から八時まで日本語の暗唱をします。でもちょっと疲れます。授業はじにほんごあんしょうつかじゅぎょういっしょきょうしついしちじはちともだちはなたあさしょくどういっしょうんどうしょくどうあさはんたいだいがくせいかつきそくてきまいあさじはんおすばしょみんなうんどうほんよざつだんよかそとちいかわながかわぞこうえん

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篇六 :关于大地震的日语演讲稿

今まで私は、毎日毎日つまらない日々を送っていました。今日何をするか、明日何をするか、卒業までの残された大学生活をどのように過ごすか、何もはっきりしていません。生き甲斐を感じられないまま生活していました。しかし、3月11日、日本大地震が発生し、1万人を超えた犠牲者が出たところ、ニュースを見て、びっくりしました。そして、その一週間後、「水没の町で卒業式」という記事をネットで見て、はっとし、同時に、非常に感動したのです。

津波で大きな被害を受けた宮城県のある小学校で18日、卒業式が開かれました。避難所にもなっているこの学校の体育館で、6年生の男女わずか4人を送り出しために、児童と保護者、教員ら約70人が出席しました。卒業生は「頑張りたい」と誓い、みんな、全員で笑顔で送ると約束しました。そして、最後、救援のヘリコプターの音に負けないぐらい大きな歌声を響かせると、会場からはすすり泣く声が聞こえました。

「頑張りたい。」この言葉はよく使われます。しかし、災害か

ら生き残った人たちはやはり誰よりも強く決心をして、「頑張りたい」と思っているでしょう。人々は普通な日々を送っていたのに、こんな思いがけない大災害に遭ってしまいました。被災者たちは肉体的にも精神的にもぼろぼろの状態で崩壊した家や学校、さらには親友の死に直面しています。悲しさや辛さに捕らわれていては何も問題を解決できません。そんな中の被災地の卒業しきは意味深いと思います。私は被災地の人たちが明日に向かって新しい生活を作ろうとしていることが分かり、とても感動し、その感動は今も続いています。

被災者たちがこんなに一生懸命努力しているのに、安全で平和なところで暮らしている私は、生き甲斐を感じられないというのはとてもはずかしいことと気づきました。人生には明日何が起こるか分かりません。今の一分一秒を大切に生きて生きたいと思います。私もこれから頑張ります。

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篇七 :大学二年级时的日语演讲稿

中国と日本の絆----異文化交流の大切さ

皆さん、こんにちは。今日、私は中国と日本の絆について、自分の体験や感想などを発表させていただきます。

それは去年の夏休みにあったことでした。

ある日、私は父の友達,王さんの会社で見学する機会を手に入りました。その会社は日本へ人的資源を輸出しているので、時々日本の商人はここに来て、労働者を募集します。あの日ちょうどこういう面接試験があります。面接官は名字が小島という日本人でした。王さんは通訳を担当します。小島さんは名前、年齢、家庭状況といた質問を応募する人に問いかけました。三番目の人に家庭状況と問いかけた時、応募の若い女の声は重く沈んで「私は小さいとき親がなくなってしまいました。おじさんとおばさんに育てられてきたのです。」そんな悲しい過去が思い浮かんだため、彼女は泣かないでいられなかったんでした。小島さんはすぐ謝って「すみませんでした。」暫く沈黙した後、小島さんは話し続けて、「実は、私も小さいときに、母を失って、あなたの気持ちがよく分かる。」そのとき、私は少し驚いたのは小島さんの目に涙が見かけました。「だからこそ、すばらしい人生を作ろう」小島さんがそう言って「ずっとあなたを見守っているご両親は天国から幸せなあなたを見たら、きっと喜ぶと思いうよ。」これを聞いて、応募の女は頭を上げて、真っ直ぐな目は煌(きらめ)いて、勇気を得たように頷きました。彼女はこの部屋を出かけた後、小島さんは目頭(めがしら)に残っている涙を拭いて、面接会を続けていきました。

今まで、一年も経ちましたが、あのときのことまた私の印象に深く残っています。それは中国と日本の同源の儒教文化背景から生まれた感動性だと思います。家族を大切にすること、人情を重視することです。

しかし、いつの間に、人の心に壁が立って始められて、昔から作られた絆が薄くなってしまったようです。ところが、私はその絆がまた消えないと信じています。日本人と話し合えば、交流すれば、距離をだんだん縮めると思います。去年の中秋節に野崎尚子という日本の留学生と一緒に三日を過ごしました。そのうちに二人は異文化を体験して、仲良くなりました。彼女が帰国直前に私に手紙を渡して一つの願いを伝えました。それが日中友好を求めることです。彼女も二つ文化がみえない線でつないているのを気づいたでしょう。これが消せない絆です。

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篇八 :日语演讲稿

走るにはまず歩くことから

みなさん、こんにちは、今日、スピーチのテーマは走るにはまず歩くことからということです。どうぞ、よろしく、お願いします。

現在の忙しい生活に追われ、私たちは毎日慌しく学校に行き、会社に行き、一秒も休まずに働いて、走る前の大切なプロセスである、歩くということを完全に失ってしまいました。私自身もそのひとりです。

大学一年のとき、ある先生から、君の夢は何ですか、と聞かれたことがあります。私は、夢ですか、そうですねえ、私は日本語のガイドになりたいですね、と答えると、先生は驚いた顔をして、そうか、すごいね、じゃ,がんばって!と励ましてくれました。二年生のとき、その同じ先生が、ガイドとしての知識をどれぐらい勉強してるの、とまた質問してきました。それでわたしは、ガイドの知識?今私は日本語科の学生で、日本語の勉強だけで、ガイドの知識はまだはじめていません、と答えました。あなたの夢はガイドになることなのに、ガイドになるには、まだなんの勉強もしていないの?走るにはまず歩くことから、君はいつになったら始めの第一歩を踏み出すの?と先生に促されました。

そのときから、走るにはまず歩くことから、という言葉をはっきり覚えています。そして、それから、授業以外の時間ひたすらガイドの本を読むようになりました。また、ガイドのための養成コースも受けました。二年生の終わりに、私はガイドの資格を取ることもできました。現在、休日と週末に私は中国語のガイドとして旅行者をいろいろな観光地へお連れします。私の日本語のガイドになるという夢はすこしずつ現実にちかづいてきました。

皆さんも成長過程の中でさまざまな夢がありますね、お金持ちになるとか、社会に貢献するとか。その遠くにある夢は屋根に当たります。ビルを建てる場合、じかに屋根を取り付けることはできません、基礎がなければ、ビルにはなりません。ですから、速く走る前にゆっくり一歩ずつあるきましょう。

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