学会感恩演讲稿

时间:2024.10.1

感恩的心

亲爱的同学们老师:

大家好!今天我要演讲的题目是感恩的心。

有人说,忘记感恩是人的天性。当我们偶然来到这个世界上,什么都还没来得及做的时候。我们就已经开始享受前人带给我们的物质和精神上的一切成果了。这就提醒着我们每一个人,要怀有一颗感恩的心。

怀有一颗感恩的心,才更懂得尊重。尊重生命,尊重劳动,尊重创造。怀着感恩的心,一代伟人邓小平古稀之年说:“我是中国人民的儿子,我深深的爱着我的祖国和人民。”怀着感恩的心,诗人艾青他的诗中写到;“为什么我的眼里常含泪水,因为我对这片土地爱得深沉。”听说过一个人向树道歉的故事吗?听说过所有正行驶的汽车为狗让路的故事吗?这些真实的故事,感动于人对生命的关爱,感动于人们对生命的尊重。

当我们每天享受着清洁的环境时,我们要感谢那些环保工作者,当我们迁入新居时,我们要感谢那些建筑工人,当我们出行时,我们要感谢司机。懂得感谢,就会以平等的眼光看待每一个生命,重新看待我们身边的每一个人,尊重每一份平凡普通的劳动,也更懂得尊重自已。

怀有一颗感恩的心,才更能体会到自己的职责,现代社会每个人都有自己的职责,自己的价值。当感动中国十大人物之一的徐本禹走上银幕时,人性的善良再一次被点燃,这个原本该走进研究生院的大学生,却义无反顾地从繁华的城市走进了大山让他做出这一抉择的理由很简单:怀着一颗感恩的心。徐本禹用他感恩的心,为大山里的孩子铺就了一条爱的道路,点燃了希望,完成了他的职责。

“羊有跪乳之恩”,鸦有反哺之恩,赠人玫瑰,手有余香,执子之手,与子偕老这些都因怀有一颗感恩的心才芬芳馥郁,香泽万年。所以我要感谢你,我生命中往来的路人,让我懂得淡来淡去才不牵累于心灵,感谢有你,来来去去,我都会珍惜。感谢你,我生命中所有的师长,让我懂得知识的珍贵,感谢有你,岁岁年年,我都会铭记。感谢你,我生命中至亲至密的朋友,快乐有你分享,悲伤有你倾听,感谢有你,忙忙碌碌,我都不会忘记。感谢你,我至亲至爱的亲人,岁月途中,静静地看护着我,挡风遮雨,让我在被爱的幸福中也学会如何去爱他人,感谢有你,日日夜夜,我都留在心里。

感谢日升日落,感谢快乐伤痛,感谢大地天空,感谢天上所有的星星,感谢生活,感谢得到和失去的一切,以及无所得无所失的一切的一切,让我在草长莺飞的季节里拈起生命的美丽!

我的朋友们,让我们怀着感恩的心面向世界吧!让我们怀着感恩的心对待我们的生活吧!必定会春暖花开!

我的演讲到此结束,谢谢!

曾粤丽


第二篇:学会发言稿


終助詞の複合形「よね」への一考察

譚 峥(タンソウ) (大東文化大学交換留学生博士2年) 1 問題提起

しばしば指摘されているように、日本語の対話において終助詞が果たす対人関係的機能は、極めて重要です。そして「よ」や「ね」などの終助詞を自在に使用する日本語学習者はそれだけでかなり日本語の運用能力があるという印象を与えます。

しかし終助詞に対する研究は、いろいろな角度から展開されてきているが、単独の終助詞についてのものが多く、複合形の終助詞の機能についての研究が相対的に尐なく、特に終助詞全体に対する総合的研究はあまり見られない。本稿では、終助詞全体1に対する総合的研究を念頭におきながら、終助詞の複合形2「よね」の機能と構造を考察し、その働きを明らかにすることを目的とします。

まず、次の例文を見てみよう。

(1)街頭取材

「小ウサギへの感じは」

若い男(通行人):「ビー玉みたいな感じ。きれいな感じですよね。」

(NHKテレビ番組)

(2)(友達と約束するとき)

竜太:…というわけで今夜7時に「サマサマ」(店名――筆者),武人がどうしてもみんな集まってほしいって、千種ちゃん来るよね、あ、本当に

いいね。後さ、…

千種:… (パーフェクトラブ)

例文(1)の「よね」の意味は“告知?同感”、 (2)の「よね」の意味は“確認”であると認められるが、機能的に統一されている説明が従来の研究によって提供されているとは言い難い。特に構造上の考察はごくわずかしか見られないというふうに思います。

本研究はテレビドラマのシナリオなどで使用されている実例を検討し、「よね」文の構造特徴と意味表出の関係に対して統一した解釈を与えようとするものである。

2 先行研究の検討

「よ」と「ね」についての研究(大曽(1986)益岡(1991)、金水(1993a)、宇佐美(1999)など)は90年代から数多く行われてきたが、一方では、近年複合形「よね」に関連する研究も見られるようになってきた(蓮沼(1992,1995) 金水?田窪(1998)深尾(2005)など)。

従来、「よ」は聞き手に欠けた情報?知識を伝えるもの、「ね」は聞き手の情報?知識の保有を前提に、話し手の情報?知識との一致の確認に使用されるものと説明されてきた。(「よねは」はいらないです)しかし、そのような説明を複合形の「よね」に当てはめると、矛盾が生じてしまう。そこで、「よね」文に対する説明は二つに分かれることになっている。一つは「加算的」な考え方である。つまり、「よね」の機能

1

は「よ」と「ね」のそれぞれの機能の加算として捉えて分析する方法です。そしてもう一つは「複合的」或いは「合成的」な考え方で。つまり、「よね」は複合した一語として捉える方法である。前者には蓮沼(1992,1995)、滝浦(2008)の研究があり、後者には伊豆原(1993)、深尾(2005)の研究があげられる。

まず、「加算的」な考え方を主張する代表的な論文を二つ紹介する。蓮沼(1995)では、「よね」の固有の働きについて以下のように述べている。

通常の人間であれば必ず備わっているはずの認識能力である「理解力?悟性」

に訴えて、相互了解を形成し、その適合を確認するといったものである。

(略)「よね」の用法は主に3つあって、「共通認識の喚起」(例:あそこに郵便

ポストが見えるよね/同級生に加藤さんっていたよね);「推量確認」(例:私の言っていることわかるよね);「相互了解の形成確認」(例:私、夕べ、眼鏡、ここに置いたよね)

(略)「よね」のなかの「よ」は人間の理解力に訴えて、相互了解が可能であるよ

うな知識の形成を誘導する機能を有していると考えられる。「ね」については、従来の説明をやや修正して適応すればすむからである。

としています。

蓮沼(1995)では「よね」の用法と意味について「じゃないか」と「だろう」と比較しながら分析しているが、「よね」文の構造特徴に対する分析はまだ曖昧な状態にとどまっていると言わざるを得ない。さらに、「よね」の機能は「共通認識の喚起」と「確認」としているが、それが例文1の場合、つまり相手が知るはずがない新たな情報を教えるときに、解釈されにくいと思われます。

滝浦(2008)の研究も同じ「加算的」な考え方で行ったものである。

滝浦(2008)では、「よね」のモダリティ構造に関して次のように分析している。

{「命題」よ}ね

={「命題」+話し手の一方的言明}+聞き手への共有の確認?促し

その意味は、自分の管理下にある情報について言明した上で、それが聞き手の管理下にも同様にあることを確認したりそう促したりすること、である。???結局のところ、連接形固有の素性指定は存在せず、またそう考えるところで、素性指定の難点とされてきた問題も解消する3。

しかし、このような説明では冒頭に挙げた例文(1)に対しては、解釈が成り立つが、例文(2)の場合については、確認を表す「ね」との違いは見えなくなると思われます。 次に、「加算的」主張に対して、「複合的」考え方を簡潔に紹介する。

伊豆原(1993)では、「よね」を伝達態度を表す終助詞として、「よ」と「ね」と対照させながら、「よね」の果たす機能を、「1型=発話内容を持ちかけ、聞き手の引き込み、共有化/一体化」を表すもの、「2型=発話内容を持ちかけ、聞き手の引き込み、共有化/一体化」を表すもの、「3型=発話内容を持ちかけ、聞き手の引き込み/同意求め?確認 共有化/一体化」を表すもの、と三つに分けて説明し、「よね」は、「聞き手に対する配慮とそれ故の不確かさの表明?聞き手への確認がそこにあること」と述べ

2

ている。

しかし、コミュニケーション機能の角度から「よね」の談話機能を列挙したが、3つの型に分類する基準ははっきりせず、また「よね」の具体的な意味や構造にも触れていない。

また深尾(2005)は「よね」と文の諸因素間の共起制限から「よね」の意味は「自分の意見を提示し、相手の助けを借りて結論を出そうとする話し手の心的態度を表現するものである。ここで言う、「相手の助け」とは相手の意見や知識を指す。」4と主張している。例えば、

原文の例:

(レストランで一口食べて、)

女:どう?/男:うん、うまいよ、これ。 女:だよね。私もすごく好き。

女の「だよね」に「よね」が使われているが、これは「うまいよね」の意味である。女は「うまい」と話し手の意見を提示し、それが相手の助け(意見)を借りて出した結論であるということを示すために「よね」が使われている。

深尾(2005)によれば、例文(2)の用法については説明が大体つく。つまり「よね」は確認の意味を表す時に、確かに「相手の知識を借りている」のですが、例文(1)のような、話題に関して聞き手側の情報量がゼロであるはずの場合は、「相手の助け」はどこから出るだろうかという疑問を持っています。

3 「よね」の構造と機能

「加算的」な考え方を代表する滝浦(2008)について分析するために、以下の用例をまず見てみよう。

(1)街頭取材「小ウサギへの感じは」

若い男:「ビー玉みたいな感じ。きれいな感じですよね。」

(NHKテレビ番組)

(3)先生:瀬名君の場合はね、上がるっていうんじゃなくて、聞き手との間に壁を

作ってしまうんです。 瀬名:僕は、その、誰かのためにピアノ弾いたことがないんですよね。ピアノ

自体がすごく好きですけど 。

(ロングバケーション)

(1)は通行人が記者の質問に対して、自分の意見を述べているときの「よね」であるが、「「命題(きれいな感じ)」+一方的言明+確認?促し」と解釈される。同じく(3)は先生の自分のピアノに対するコメントを聞いて、ピアニストの瀬名は先生の知らない状況を教えているところです。「「命題(誰かのために弾くのではない)」+一方的言明+確認?促し」と解釈される。この二つの例文とも確認の意味が薄く、聞き手への促し、共感を呼び起こそうとするニュアンスが強いと思われる。この用法については滝浦の説明をもって解釈しても特に問題はないようですが、モダリティ構造を示す

3

と、以下のようになる。

A「命題」よね={「命題」+よ}+ね

しかし一方、次のような「よね」の例文についてはどう説明すればよいのであろうか。

(2)(友達と約束するときの電話)

竜太:…というわけで今夜7時に「サマサマ」,武人がどうしてもみんな集まってほしいって、千種ちゃん来るよね,あ、本当にいいね。後さ、…

千種:… (パーフェクトラブ)

(4)(カラオケの時、二人の男教師の対話)

袴田:カラオケなんてぜんぜんだめなんですよ。さっき冬月先生話してたこ

となんですけど。

鬼塚:なんだよ。

袴田:(鬼塚に向いて):あれは僕への愛の告白なんですよね。

鬼塚:はあ?

袴田:僕やっぱプロポーズしたほうがいいんでしょうか。

鬼塚:すればいいんじゃない。

袴田:応援してくれるんですか。 (GTO)

(2)は相手からオーケーする返事がまだなく「千種ちゃん来る」という命題について自信がないため、確認しているところです。同じく、(4)は袴田はもともと冬月に好意があるが、ちょうど冬月から告白と誤解されるような話をされたから、同僚の鬼塚に確かめているところである。二つの文とも、「よね」が確認の意味を表すものとなり、

A「命題」よね={「命題」+よ}+ね

という文構造によっては説明されにくいかと思います。したがって、次のような構造が考えられる。つまり、「よ」と「ね」が結合したひとまとまりとなって、「確認」の意味を表すようになっているのである。それに、この「確認」の意味は「ね」や「だろう」で表す「確認」と違って、独特なニュアンスがある表現である5。

B「命題」よね={「命題」}+よね

ですから以上の「よね」文には、構造的に二種類があり、異なった意味を表していることが確認

されました。図示すれば、下記の通りです。

A「命題」よね={「命題」+よ}+ね (滝浦の提案、例(1)と例(3))

B「命題」よね={「命題」}+よね (本稿加えた提案、例(2)と例(4))

4

要するに、滝浦の論述によって解釈できる加算的用法の「よね」以外には、複合辞になって「確認」を表す複合終助詞「よね」も存在するのである。「よね」の確認の意味は数多くの研究で論述されてきたが、ここでは、「加算的用法」と区別するために、「確認」の定義を再度検討する必要があると思われる。

「確認表現」はよく「疑問文」の下位分類としているので、まず疑問文から分析する。安達(1999)では、典型的な「疑問文」の成立条件は次のように整理している。

(a) 話し手には命題内容の真偽判断、或いはその命題を構成する情報の一部が欠け

ている。

(b1) 話し手は応答可能な存在として聞き手を評価する6。

(b2) 話し手は聞き手に問いかけることによって不確定性を解消すること意図する。 それに対して、「確認要求」の疑問表現は命題内容の不確定性の条件が欠けたものであると考えられる。確認要求は話し手の判断を聞き手に持ちかけるというところに特徴があるが、その点において、話し手にとって命題内容は確定的であると考えられる。聞き手に問いかけることによってその命題内容に対する確認を要求するわけである。

つまり、確認要求の特徴は(b1) 話し手は応答可能な存在として聞き手を評価する。(b2) 話し手は聞き手に問いかけることによって不確定性を解消すること意図するものであると理解していいのでしょう。

ちょっと飛ばしますが、従ってのところに行きます。

本稿で考察する「よね」の例文はすべて対話文であるため、b1の条件にまず満足させています。「確認」の必要条件b2「不確定性を解消する意図」については、構造の異なるAとB「よね」文では、違った様相を呈しているように思われます。まず、Bのような構造を持つ「よね」の文が表す「確認」 の意味には、具体的に言えば、(5)の要件が内在しているのでしょう。

(5) 話し手は聞き手が持つ情報が自分より豊富、或いは量的に相当だと想定して、

聞き手の応答を期待している。(構造Bの場合)

それに対して、Aの構造を持つ「よね」の文は(6)の要件が指摘されます。

(6) 話し手は聞き手が持つ情報が自分より尐ないと想定するか、或いはそれを気

にしない。聞き手の応答も期待しない。(構造Aの場合)

(5)と(6)は「よね」の定義ではありませんが、構造的区別をつけるヒントになるのではないかと思われます。Aのような構造の場合、「よ」+「ね」として、相手の応答を期待しないですが、Bのような構造の場合、ひとまとまりの「よね」となって、相手の応答を期待するわけです。滝浦の構造分析では「応答を期待しない」「よね」の性格が明らかにされているが、もう一つの「応答を期待している」「よね」は見落とされていたのではないかと思います。

結論を言うと、形式上同じ「よね」であっても、話し手の「自分の情報を完成する意図」(つまり確認する意図)の有無によって「よね」文は構造的に異なっており、そ

5

れが回答の必要性の有無によって区別されているのである。

以上の考察により、複合終助詞「よね」文には、構造的にAとBという二種類があることが確認されたと思う。

4「複合辞」理論における位置づけと展望

終助詞の複合形「よね」は二種類の構造を持つことはどういう意味があるのだろうか。その意味について複合辞理論の視点から簡単に述べたい。

「複合辞」とは、いくつかの語が複合して、ひとまとまりの形で辞的な機能を果たす表現の総称である。(複合辞とは,幾つかの語が複合してひとまとまりの形となって非構成的な意味を持ち辞的な機能をはたす表現)例えば「複合係助詞」(例:「といえば」、「というと」「からいっても」)「複合格助詞」(例:「に応じて」、「について」「しだいで」)などがある。単なる語の連接ではないが、構成要素のプラス以上の意味をもって、一つの単位として機能している。複合終助詞の場合、よく例に挙げられるのは、「ものか」「かな」である。

確認の意味を表す「よね」は、「よ」と「ね」が一体となって新たな意味を表しているため、「複合辞」に位置づけていいかと考えられる。一方、特定の場合に(いわゆる構造Aの場合)、「よね」文には、語「よ」と語「ね」の加算的連接で説明されうる用法もある。したがって、文構造的に二種類が存在する「よね」文は複合辞形成の変化プロセスを示すものと思われる。

「語の連接→複合辞→新たな一語」7

よ+ね よね __ (筆者)

複合して使われる言葉は構造的な条件によって「語の連接」になったり、「複合辞」になったりするという考え方は、複合辞理論ではまだ新しいものではないかと思いますが、言葉は常に生きものであるという立場に立って説明しようとすれば、機能変化を動的に捉えるべきではないかと思う。

ところで、過渡的表現と言ってもいい「複合辞」は一体何のために存在するのでしょうかといいますと、それは、連接形式であるがゆえに作り出すことのできる独自な意味?機能が、従来の同類表現では表せない微妙なニュアンスの表現を可能にしているという点にあると思われる8。本稿の研究に基づいて言えば、「よね」のひとまとまり性によって果たされる機能は、まさに加算的では果たせないものなのです。さらにそのひとまとまりとしての「よね」は、似ている機能を果たす類義表現と新たな相補関係を形成して、文法カテゴリー化されることになるでしょう。

5 終わりに

これまでは終助詞の複合形「よね」について構造的分析をしたが、二種類構造を持つことを確認しました。

A「命題」よね={「命題」+よ}+ね (言明+促し?共感)

B「命題」よね={「命題」}+よね (確認)

さらに、複合終助詞を全体的に考察する時も、「構造」も無視してはならないと思われ

6

る。例を挙げれば、終助詞「かな」と「ものか」は構造上「か+な」「もの+か」と分けられない、複合辞性が高いと思われますが、「かよ」「わね」などは「か+よ」「わ+ね」というふうに加算形だけの構造を持つのではないかと推測されます。本稿で取り上げた「よね」はその中間にあるものであり、意味表出に応じた二つの構造を持つものになっているのである。

最後に、複合終助詞に現れる様々な在り方は、「複合辞」理論と共通するところもあり、複合形の機能変化過程(「語の連接→複合辞→新たな一語」の変化プロセス)を示すものだと考えられます。複合終助詞のそれぞれがどの段階にとどまっているかは今後の課題として体系的に考察を続けていきたいと思う。

ご清聴ありがとうございます。

確認のニュアンスは?

田中先生の発表をまね

「参考文献」

安達太郎(1999)『日本語疑問文における判断の諸相』くろしお出版

宇佐美まゆみ(1999)「「ね」のコミュニケーション機能とティスコース?ポライトネス」

『女性のことば?職場編』現代日本語研究会編 ひつじ書房

大曽美恵子(1986)「「今日はいい天気ですね。」―「はい、そうです。」」『日本語学』5-9

明治書院

伊豆原英子(1993) 「終助詞「よ」「よね」「ね」の総合的考察―「よね」のコミュニケ

ーション機能の考察を軸に―」『名古屋大学日本語?日本文化論集』1号 名古屋大学留学生センター

曹 再京(2000)「終助詞「よ」の機能」『言語学科論集』第4号京都大学総合人間学部

基礎科学科情報科学講座

神尾昭雄(1993)『情報のなわ張り理論―言語の機能的分析』大修館書店

金水敏(1993a)「終助詞ヨ?ネ」『月刊言語』22-4大修館書店

―――(1993b)「終助詞ヨ、ネの意味論的分析」『パネルディスカッション日本語談話

における情報論的アプローチ』 日本認知科学会?学習と対話研究会

金水?田窪(1998) 「談話管理理論に基づく「よ」「ね」「よね」の研究」, 堂下?新

美?白井?田中?溝口(編)『音声による人間と機械の対話』 オーム社

白川博之 (1992)「終助詞よの機能」『日本語教育』第77号 日本語教育学会

―――― (1993)「「働きかけ」「問いかけ」の文と終助詞「よ」」『日本語教育学科紀要』

第3号広島大学教育学部

徐一平(1994)『日本語研究』人民教育出版社

滝浦真人(2008)『ポライトネス入門』研究社

譚峥(2010予定)「現代日本語における複合終助詞についての一考察――「よね」を例

に」『外国語学研究』第11号大東文化大学大学院外国語学研究科

――――(2010予定)「複合終助詞「かね」の構造的考察『指向 日本言語文化学?応

用日本語学論究』第7号大東文化大学大学院外国語学研究科編集委員会

張興(1997)「「デハナイカ」構文の表現機能」『日本学論叢』北京日本学研究センター

7

世界知識出版社

蓮沼昭子(1992)「終助詞の複合形「よね」の用法と機能」『対照研究 第二号 発話マ

ーカーについて』筑波大学つくば言語文化フォーラム(編) 筑波大学

――――(1995)「対話における確認行為――「だろう」「じゃないか」「よね」の確認

用法」『複文の研究(下)』くろしお出版

深尾まどか(2005)「「よね」再考――人称と共起制限から」『日本語教育』第125号日

本語教育学会

益岡隆志(1991)「終助詞「ね」と「よ」の機能」『モダリティの文法』くろしお出版 松木正恵1992)「複合辞性をどうとらえるか――現代日本語における複合接続助詞を中

心に――」『辻村敏樹教授古稀記念日本語史の諸問題』明治書院

「用例出典」

『ロングバケーション』武漢音像出版社 20xx年

『パーフェクトラブ』武漢音像出版社 20xx年

『GTO 』广州音像出版社 20xx年

『生活日本語交際会話?下』朱春躍編 外語教学与研究出版社20xx年

NHK総合テレビ番組20xx年10月6日

注記 1 終助詞の認定は統一されていないが、本稿では複合化して使用される頻度の高いものを例とする。例えば「の、か、わ、さ、よ、ね」など。

2 ここで言っている「複合形」というのはただ連続的に使用されている意味であるが、内部結合程

度などに関係ない。

3 滝浦(2008)p140を参照。

4 深尾(2005)p20を参照。

5 「確認」を表す一連の表現の使い分けはここでは省略する。

6 「かな」「だろうか」は独り言として言う場合があるが、それは疑問文にならない。

7 松木(1992)第三節の図2を参照。

8 松木(1992)を参照。

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