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第二篇:刺青读后感(日语)
テーマ:細かいところから見る「刺青」クラス:三年一組 名 前:
学籍番号:
細かいところから見る「刺青」
最近、谷崎潤一郎の「刺青」という小説を読んだ。「刺青」は谷崎潤一郎の処女作で、作者自身にとって、重要さは言うまでもなく、今後谷崎文学の基礎になるとみんなよく言われた。その文学地位も日本の文学界はすごく高いと評判された。そのいろいろな原因によって、私自らも「刺青」この作品に興味が持ち始めて、先生の授業をきっかけに、刺青をすごく真面目に読んできた。特にいろいろな細かいところに気づいた。よく考えてみると、やはり普通の名作と違って、意外と面白かった。ここで、この小説の中から出てきたいくつかの問題点、あるいは面白いところについて、みなさんと一緒に検討しようと思う。 まずは主人公についてのことである。主人公の清吉は浮世絵師を目指しながらも、刺青師に転落した。でも、作者は清吉の志は、清吉の宿願は「光輝ある美女の肌を得て、それへ己の魂を刺り込むことであった」。美女の肌に刺青を彫ることが清吉の快楽なのではないことを強調して、清吉の長年の宿願なのだとちゃんと説明している。しかし、同じく主人公としての女について、作者は名前さえ紹介してくれなかった。それはなぜでしょうか?私の考えでは、たぶん谷崎潤一郎はそんな差別を通して、当時の社会でやはり女性差別がある。なので、作者は単に、「娘」あるいは「女」と呼ばれているだけだ。それは、この女性が人格を必要とされていない、“モノ”であるということを示しているからである。つまりどんな美しくても、女性の地位は男性ほど高くはないということを言っている。
それから、清吉の快楽っというのは、いったい何でしょうか?清吉が、「其の呻きごゑが激しければ激しい程、彼は不思議に云ひ難き愉快を感じる」こととか、刺青を彫られて苦痛にうめく客を眺めながら、「嘸(さぞ)お痛みでしょうがなあ」と冷ややかな笑いを浮かべることとか思った。ここから見て、清吉の快楽は、刺青を施している最中の苦しむのを見ることなのである。お客様の苦痛を喜ぶ癖である。本当にいやなやつなのでしょう。これはまるで治療中の患者さんの苦痛を楽しむ医者さんのような人間ではないでしょうか?他人の苦痛を見て、自己の至福の喜びを感じるなんて、はっきり言うなら、悪魔のことである!自分がいじめて弄ぶ対象が苦しめば苦しむほど、喜んであり、とにかく清吉のサディストな面が描写されて、快楽と宿願の違いが説明されている。
ここまで読んで、もう一つの質問が出てきた。それは清吉と女の出会いの時のことである。本文の中で、こういう文が書いてあった。「鋭い彼の眼には、人間の足はその顔と同じように複雑な表情を持って映った」。刺青師の男が駕籠のすだれから見出していた娘の素足をかいま見た場面であった。いわゆる、運命の出会いというものだが、違和感もうそ臭さもなくて、すらっと頭の中に入ってきた。宿願を抱いた四年目に焦がれ続けた美女を発見するものの、清吉は見逃してしまったんだ。その足のことを「貴き肉の家宝であった。拇指から起こって、小指に終わる繊細な五本の指の整ひ方、絵の島の海辺で獲れる、うすべに色の貝にも劣らぬ爪の色合ひ、珠のやうな踵のまる味、清冽な岩間の水が絶えず足下を洗うかと疑われる皮膚の潤沢。」と描写しているのだが、ここ
まで細かく足を見ているなあと感心したものである。さらに、顔やスタイルに引かれたのではなく、清吉が惹引きつけられたのは足だ!足を見ただけで、清吉は宿願の美女を発見した。もしかして主人公は足を偏愛しているのか?というよりも、谷崎潤一郎自身が足を偏愛しているなのだろうと思われる。
また、清吉はただ一目で女の足が気に入った。そして、一年も経っても、その様子、その美しさもはっきり覚えている。さらに、一見で、その娘の潜んだ魔性の美を発見して、一歩一歩と娘の心の中の隠された魔性を掘り起こした。それはなんとなく常識に合わない感じがする。この点からして、作者は実に浪漫主義者ということが多尐わかってきたはずである。
蜘蛛を彫られるによって、女の運命が完全に変わるといっても過言ではなかろう。しかし、彼女をそんな変化に導いたのはだれでしょうか?清吉なのでしょうか?それとも彼女自身なのでしょうか?私は両者あいまって、そんな結果になったのであると思う。清吉の長年の宿願はもちろん、彼はそういう美を追求する夢がなければ、その後の一切のことはなかろう。たぶん女の魔性は永遠に隠されるかもしれない。ところが、どちらかといえば、女の方が決定的な要素だと思う。女は刺青の前に、男が怖がりながらも、反抗しようとはしなかった。刺青の後も、とても平気で変身した自分を認めた。なぜかというと、それは彼女自身の選んだ結果からである。
以上の点は細かいけれども、よく分析してから、私は「刺青」および谷崎潤一郎のことがより深く認識できた。