篇一 :日文演讲稿

尊敬する中国紡織工業部部長 王海様

尊敬するご臨席の中国の友人の皆様

尊敬する日本側出席者の皆様

本日、ここに紡織工業部部長王海さまをはじめ関係各位のご臨席のもと、20xx年日本紡織工業設備技術展覧会開幕式を開催するに当たり、主催団体である紡織協会を代表し、また日本側出品者の皆様を代表してご挨拶申し上げますことは、まことに光栄かつ喜びにたえないところでございます。

まず始めに、本展覧会の受け入れに当たられました中国紡織工業部及び中国紡織委員会の、並々ならぬご援助とご協力に対し、謹んで深甚の謝意を申し上げます。

ご承知のように、紡織工業の分野における貿易の往来はかなりの成果を挙げつつはありますが、今後なおいっそうの拡大を期待するには、中国側の需要家に日本の製品を、目の当たりに見ていただくことが肝要かと存じます。

このため、今回私どもは中国側の需要家のニーズにかなった設備機械を精選し、展示する一方、10月10日までの会期中に、展示実演、技術説明会、貿易商談なども行います。本展覧会が貴国の紡織工業の発展と日中経済交流の発展にいささかなりともお役に立てば誠に幸いであります。

この展覧会は、準備の期間中に、国際経済情勢の変転に煩わされ、率直に申して少なからぬ困難に直面しましたが、日中相互の緊密な協力によって、本日の開幕を勝ち取ることができました。本展覧会の規模はそれほど大きいとはいえませんが、合作の勝利の意味は決して小さくはありません。

日中経済関係はやがて新たな発展段階を迎えようとしております。私どもは平和友好、平等互恵、相互信頼、長期安定という四つの原則を忠実に守り、輸出入アンバランスなどの当面の問題点を解決する努力を粘り強く続けさえすれば、日中経済往来の前途は光明に満ちたものであることと確信いたします。 今年は日中国交回復30周年、日中平和友好条約調印24周年にあたります。私どもは日中不再戦の誓いを新たに、日中共同声明と平和友好条約の精神にたえず立ち返って、これに反する諸潮流に断固として反対し、われわれの友好の事業を守り抜きたいと存じております。

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篇二 :日语演讲稿1

《私の夢》

皆さん、こんばは。私は1年3組の高原ともうします。今日のスピ一チのテ一マは「私の夢」でございます。よろしくおねがいいたします。では、始めます。

子供の時、私の体は弱かったので、遠い所に出かけることができませんでした。あの時、毎回ほかの子供たちは旅行から帰ってきて、旅の見聞を聞かせた時、私はいつも大変羨みました。それから、あの時私の夢はスーパーマンになって、どちらへも飛んで行けることでした。大きくなって、世界中にスーパーマンなんかいないことを知っていました。でも、ずっと一人でどこかへ旅行に行こうと期待しています。

中国語に「千里の旅、万巻の書」と言う諺があります。旅行はストレスを解消することができるし、ほかの国の習慣や風俗なども知ることができます。そのうえ、自分の知識も豊富になります。それで、今私の夢は、ある日世界旅行へ行けることになります。

旅行に行きたいです。リュックサックを背負って、東へ行きます。美しい東京に散歩して、東京タワーに登って、東京ディズニーランドに行きたいです。南へ行きます。ロマンチックなバリに歩いて、大波の音を聞いていて、海風を吹いています。西へ行きます。有名なエジプトに遊んで、ピラミッドを遊覧します。

今、夢のために、一生懸命に知識を勉強するだけでなく、生活の能力も強めています。それに、また、沢山の金を儲けたいです。勿論このより、もっと重要な一つは友達を沢山作ることです。「友達が多いと何も困らない」と言う話を信じています。

旅行を通して自分の視野を広めて、生活の幸せを味わいます。だからこそ、千里の旅は万巻の書に値するのであります。

以上です。どうもありがどうございました。

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篇三 :日语演讲稿——寛容

「寛容とは広い心で人に接すること」

人と人との付き合いにとっては、もっとも大切なのは何でようか。私からに見れば、寛容以外の何ものでもないです。

これは私に友達に関しての話で、数日前にあったことです。ある日、天気は陰気で、雨が降りそうだったのです。そして、私の友達の周さんは、彼女のクラスメートの張さんに電話をかけて、「傘を持ってきてもらえませんか」と頼みました。予想に反して、傘を持ってきたのは張さんじゃなくて、別の女の子でした。教室に入ってきてから,周さんが持っていた傘を見るなり、「周さんは傘を持っているのに、どうして私にもうひとつ傘を持って来させるの?なんだよ!」ってその張さんが不満な顔をしてそうした文句をいいました。私の友達の周さんは「ごめんね。実は、前の傘は張さんが他人に頼んで私に渡してくれたんだと勘違いしたので、もうこの傘は要らないから持って帰っていいね」って答えました。張さんは「ひどい!この私がこの傘を戻すの?」って叫んでいました。周さんは「友達なのに、なんでそんなひどい話を言ったんだろか」と心の中で自分に問い直していました。その結果、二人は互いにそっぽを向くようになりました。もし、どちらか一人が寛容さをあらわして、激しい口論をしなかったら、何もかも違うのではないでしょうか。

なぜ自分の親だったら、気を使って暮らす必要がないのでしょうか。それと、親は容易に許してくれたり、或いはぜんぜん気にかけないのでしょうか。親しい友達でも、時々和やかな雰囲気で付き合えないことがあるのです。原因は何しょうか。

それは寛容さの問題だろうと思います。寛容のおかげで、両親にとっては、ない日の生活のことはまったく取るに足らない小さなことでしょう。日常生活では、私たちは常にそんな小さなことを見落とすことによって、両親と一緒に楽しく暮らすことができるのでしょう。でも、周りの友達に対して、親が彼らの子供に対する寛容さを取り出さなかったから、二人がけんかしてしまうようになったと思います。

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篇四 :眼泪的意义日语演讲稿

涙の意味

陳 瑩瑩

子供の時、周りの人にいつも「弱気になって泣くな」と言われました。だから,私はずっと涙を流すことが恥ずかしいと思ってきました。人に気づかれないように、こっそり泣きます。でも,今の私は大人になって、涙の本質を改めて考え直しました。

涙は誠に不思議なものですね、生まれた時から、ずっと人間に備わっています。人間は自分の涙と共にこの世界に生まれて来ます。それから、他人の涙と共にこの世界から離れて行きます。「笑顔は一種類だけです、でも涙には様々な種類があります」という言葉を聞いたことがあります。そうですね、涙にはいろいろな意味があります。

大切な人や物などを失ってしまった時、悲しくて涙が流れてきます。 一番行きたい大学に合格したとき、嬉しくて涙が流れてきます。とても信用している人に騙されたとき、怒りで涙が流れてきます。苦境などで助けられた時、感謝で涙が流れてきます。大切な人に誤解された時、悔しくて涙が流れてきます。自分の誤りで他人を傷つけたとき、恥ずかしくて涙が流れてきます。

このように涙の意味は本当に様々ですね。どんな感情でも表現できます。でも、なぜ涙は匂いもないし色もないし無色透明なのでしょうか?それは私たちの心がきれいだからではないでしょうか。なぜ涙は海のように塩の味がするのでしょう?涙は海と同じです、色々な物が含まれているからなのではないでしょうか。なぜ涙は暖かいのでしょう?涙の温かさは心の温かさだからこそです。なぜ涙は真珠のような形なのでしょう?涙は真珠と同じで、美しく貴重なものだからなのでしょう。人間にとって、生まれの善し悪しにかかわらず、老若男女を問わず,誰でも涙が必要です。もしある日、人が涙を失えば、感情がない無関心な人間になると思います。お金がなくても、まったく恐れるに足りない事ですが、涙がなくて感情もないこと、これは確かに恐ろしいことだと思います。無一文になっても、神様から一番貴重な恵みをもらったことを忘れない。涙のため、世界に人間味があふれるようになります。皆さん、人生の道はまだまだ長く、恥ずかしがらずに、思う存分に涙で自分の喜怒哀楽を表現してください。

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篇五 :日语演讲稿

私のふるさと

皆さん、こんにちは。今日は私のふるさとである遼寧省阜新についてお話ししたいと思います。よろしくお願いします。阜新は遼寧西部にある都市で、首都北京からか600キロメートルのところにあります。都市間高速鉄道に乗れば、北京から阜新まで3時間しかかかりません。

まず、阜新の観光名所についてお話しします。お勧めしたいところは瑪瑙(めのう)文化街です。中国でほとんどの瑪瑙(めのう)が阜新にあるので、阜新は「瑪瑙(めのう)の都市」と言われています。古文化街は全長730メートルで、その両側には昔の建物の様式をまねて作られた店がたくさんあります。また、古文化街にある阜新民俗博物館は阜新の文化を知るのに一番いいところだと思います。

次に、阜新の食べ物をご紹介したいと思います。阜新のおいしい食べ物は数え切れないほど多いです。内モンゴル自治区と近くので、モンゴル族の美食がたくさんあります。阜新の代表的な食べ物と言えば、モンゴル餡餅(あんもち)です。道に餡餅の店がたくさんありますが、とても美味しいです。

最後、遼寧省の中で、阜新は緑が一番多い市です。市の中には、たくさん広場があります。子供の時、両親がよく広場に連れて行ってくれたり、散歩したり、遊んだり、それに、広場に鳩(はと)に食べものをあげたりしました。

これが私の故鄉です。今わたしは故鄉を離れて、遠いところに勉強していますが、前よりもさらに深く故鄉のことが懐かしく思います。 私の故郷は美しいところです。みなさん、機会があれば、ぜひ旅行してください!

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篇六 :关于幸福的日语演讲稿

皆様、こんにちは、私はごへいと申します。スピーチのタイトルは「幸せ」です。どうぞよろしくお願いします。

私たちはいつも幸せを探していますが、それは一体どこにあるのだろう?どうすれば幸せになれるのだろう?

皆さんにとって、幸せとはなんですか、大金を持つことですか。それとも楽しい生活を過ごすことですか。みんなに私の幸福観を説明するために、日本で実際にあった出来ことを紹介しようと思います。多くの人が感動した本当のストーリーです。 池内亚也という女の子は,平凡だけれど幸せな家庭で生まれました。理想な高校に合格して、これからのきっと楽しくて素晴らしい人生を期待していました。その時に不治の病が亚也をおそいました。これから青春を迎え、一生懸命頑張ろうとする大切な時に、希望を失ってしまいました。体が思いどおりに動かないし、歩いても転んでしまうし、自分で書くことも食べることもできなっくなってしまいました。その時、亜やは十五歳で、こんな何もできない自分を見て、亜也はいつも泣いていました 。「どうして、病魔は私を選んだの?どうして」と医者に何度も聞きました。しかしこんなひどい目にあっても、亚也は毎日日記をかくことで、頑張って病魔と戦っていました。亚也は朝、目覚めて自分が生きていることに気がついただけで、幸せだと感じました。皆さんこんな亚也の事を考えると、私たちは生きているだけでも幸運なことだと思いませんか?

これなら、どうして私達の多くはいつも自分が幸せだと感じられな

いのでしょうか?

私達がなにかつらい事,困ってことに会った時、「なぜ私なのですか?」と文句を言います。しかし,いずれ、私たちは強くならなければいけません。亚也のように、楽観的に、勇敢に生きていか

なければなりません。

以前は私は幸せとは何かをまったく知りませんでした,しかし今の私は夢や目標があれば、それでじゅうぶん幸せだと思うようになりました。皆さんはいかがでしょうか?これから今を大切にして、頑張って夢を実現しましょう。幸せになるために。。。

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篇七 :日语演讲稿

名前:高麗君 クラス:141

先生の方々、学生の皆様,こんにちは。

私は1クラスの高麗君と申します。今日私のスピーチのテーマは「春節の帰省中に出会ったこと」です。どうぞ、よろしくお願いします。では、発表させていただきます。

期末テストが一月十日に全部終わったですから,私はその次の日に故郷へ帰りました。私の家は南方の貴州省にあって、大学まで随分長い距離ですから,半年ぐらい家に帰っていませんでした。飛行機で故郷に帰って、久しぶりに家族と友達に会いました。その後,私は友達と一緒に旅行することを決めました。そして,一月十九日の夜、私は重慶ゆきの列車に乗りました。二十日の朝,重慶に初めて着きました。ホテルに着いたばかり、私たちはすぐ有名な担担麺屋に行きました。担担麺はおいしくて、辛かったです。その後,「重慶の一番の料理と言ったら、矢張り鍋でしょう」と考えて、鍋を食べに行きました。これもとてもおいしかったです。

重慶は気候が湿っぽくて、すごく寒いです。存分遊びたい気持ちで、それを全然気にしていなかったです。私にとって,大好きな重慶の観光地は南山と洪崖洞です。南山の山頂から素晴らしい都市の景色が全部見えます。洪崖洞と言えば,賑やかな夜景に深く印象つけられました。それに、ここは日本の有名なアニメ「千と千尋の神隠し」中の場所なのです!本当に夢みたい体験でした。 重慶から家に戻った後,私は「言の葉の庭」と言う映画を見ました。その中から、この詩を覚えました。皆様に読みましょう。

鳴神の 少しとよみて さし曇り 雨も降らんか 君を留めん

鳴神の 少しとよみて 降らずとも 我は止まらん 妹し留めば

皆様、この詩を聞いたことがありますか。この詩の名前は「鳴神短歌」で、作者は柿本人麻呂です。それに,この詩は日本に現存する最古の歌集――「万葉集」に収められています。「鳴神短歌」が映画「言の葉の庭」に引用されたのです。この映画はアジアで大変高い評価を受けました。内容は二人の主人公の愛の物語です。しかし,私にとってこれは只のラブストーリーではありません。これも、「勇敢に現実に直面する」と言うことを教えてくれます。 以上は私のスピーチです。

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篇八 :日语演讲稿(改后)

私の発表するテーマは 私の大学での夢です。

私には夢があります。いつの日にか、大学で勉強したことを生か

して、人生で偉大なことを成し遂げたい夢なんです。

あなたはどうして日本語学科に入ったのですか?卒業したら何

をしたいのですか?これは大学に入ってからよく聞かれた二つの

質問です。実は、私は聞かれるたびに答えに困っていました。いま

まで、私は多くの大学生と同じで、勉強もしたくなかったし、活動

にも参加したくなかったし、何にも興味がなかったですから、毎日

何もしませんでした。

そして卒業してからの夢と聞かれれば、せいぜいかわいいお嫁さ

んになって、幸せな家庭を築き、親孝行をするということだけでし

た。みんなが自分の夢について熱心に語るとき、私はいつも黙り込

み、他人の話を聞くだけでした。そんなわたしが去年の期末を きっかけに大きく変わりました。

Bさんはクラスで1番の学生です。英語も日本語も上手です。書

いた文章はすごく個性があると言われます。特に日本語の発音はき

れいで、まるで日本人のように日本語が話せます。そして、いつも

授業中に先生に褒められます。期末試験が終わったらみんなは毎日

朝寝坊したり、ゲームをしたり、テレビ番組を見たりしていました。

それでも、bさんは相変わらず毎日朝から夜まで勉強していました。

その姿を見て感心しました。bさんに日本語を勉強する方法を聞いたら、bさんはにっこりと「言葉の勉強は日々の努力の積み重ねですよ。」と言いました。bさんは「自分の夢を実現するために、そして、あきらめずに続けていけば、いつか信じられないほどの高みにまで私たちを運んでくれるのです」と言ってくれました。今はどんなに辛くてもやりがいがあるだろうと信じています。中国語には「3人行けば、我が師あり」というものがあります。だから、私はbさんに学ぶことにしました。

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