九月十三夜 <上杉 謙信> くがつじゅうさんや <うえすぎ けんしん> 霜(しも)は軍營(ぐんえい)に満(み)ちて秋氣清(しゅうききよ)し しもはぐんえいにみちて しゅうききよし
數行(すうこう)の過雁(かがん)月三更(つきさんこう)
すうこうのかがん つきさんこう
越山(えつざん)併(あ)せ得たり能州(のうしゅう)の景
えつざんあわせえたり のうしゅうのけい
遮莫家郷(かきょう)の遠征(えんせい)を憶うを
さもあらばあれ かきょうの えんせいをおもうを
意解
霜は我が陣営に満ちみちて、秋の気は清く澄みわたり、いかにもすがすがしい。 空を仰ぐと、幾列かの雁が鳴き渡っており、夜半の月は皎々と冴えわたっている。
さて今夜は、越後?越中の山々に、更に能登も併せて、まことに雄大な景色が眺められることだ。
ままよ、故郷の家族どもが遠征の我が身をあんじていようが、それならそれでよい。今夜はこの名月 を心ゆくまで眺めようではないか。
備考
天正五年上杉謙信が七尾城攻略の際、落城を目前にして、折からの九月十三夜 の名月のもと酒宴を催し、得意満面の感慨を読んだもの。一生の間に作った漢詩はこれだけである。 この詩の構造は仄起こり七言絶句の形であって、下平声八庚(こう)韻の清、更、征の字が使われている。
作者略伝
上杉 謙信 1530-1578
幼名を虎千代(とらちよ)、元服して影虎(かげとら)といい また不識庵(ふしきあん)と号す。三十二歳の時輝虎(てるとら)と改めさらに四十一歳 以後は謙信と称す。彼の有名な川中島に於ける武田信玄(しんげん)との一騎 打ちは史家により種々の説あり。永禄(えいろく)4年9月(1561)年三十一歳の時ともいわれている。 常に朝廷の衰微(すいび)を嘆き時に資を献じてその勢いを張っていたが天正6年四十九歳にて没す。
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